史料綜覧 卷五 / 元弘元年九月四日条(1331)
四日 後伏見上皇 入道尊円親王ヲシテ 五壇法ヲ六波羅北方ニ修シテ 戦捷ヲ祈禳セシメ給フ
(この年後醍醐天皇は譲位に応じず、幕府に捕らえられた。幕府により皇太子量仁が即位して光厳天皇となり、後伏見上皇はしばらく院政を行っています。
この後、元弘三年(1333年)、足利尊氏が後醍醐天皇に呼応して京都の六波羅探題を襲撃すると、後伏見上皇は光厳天皇・花園上皇とともに東国に逃れようとしたが両上皇と天皇は捕らえられて光厳天皇は廃位され、後伏見上皇は出家剃髪。)
・尊円親王は伏見天皇の息。青蓮院第十七世門跡・四天王寺別当・天台座主
・五壇法とは、五大明王(不動明王・降三世明王・大威徳明王・軍荼利明王・金剛夜叉明王)の壇を作り国家安穏を祈願する修法。
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