史料綜覧 巻五 / 建治三年(1277)十二月廿九日条
「廿九日葵未 仰五畿七道諸国 為攘流布之疾疫 随官符到来 択吉日宜令転読仁王般若経由宣下」
天皇は後宇多天皇。鎌倉将軍は惟康親王、執権は北条時宗。
此のすぐあと、建治四年二月には疫病により建治から弘安へ改元していますから相当な流行であったと思われます。
史料綜覧 巻五 / 建治三年(1277)十二月廿九日条
「廿九日葵未 仰五畿七道諸国 為攘流布之疾疫 随官符到来 択吉日宜令転読仁王般若経由宣下」
天皇は後宇多天皇。鎌倉将軍は惟康親王、執権は北条時宗。
此のすぐあと、建治四年二月には疫病により建治から弘安へ改元していますから相当な流行であったと思われます。