福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛教人生読本(岡本かの子)・・その59

2014-04-06 | 講員の活動等ご紹介

第五九課 迷信の話


 迷信については、私が西洋にいたとき聴いたおかしい話があります。
 白耳義ベルギーの首都ブラッセルから独逸ドイツ国境の方へ半日ほどドライヴしますと世界大戦当時最も激戦を極めた地方へ出ます。その遺跡も沢山残っていますが、それでもこの辺一帯の天然の風景は、欧州の中で珍しい平和なのんびりしたものです。一面の青麦の畑は見渡す限りうち続き、澄み切った碧みどりの空に風車がゆるゆる廻っています。その麦畑の畦に、ところどころに鄙びた基督キリストの磔刑はりつけの石像が立っていまして、それに士地の農夫達の手作りの花環などが供えられてあります。ちょうど日本の田舎道に在る石地蔵の感じです。
 この西洋の石地蔵の一つが、自分でときどき動くというので村の評判になったのです。これは基督の再臨の兆しるしだというので、お詣りが増える。教会では感謝のお祭りがあったのです。大変な騒ぎになりました。このくらいまでは、まず騒ぎだけで済んで来ましたが、今度は、石像がいま眼の前で動くか動かないかで、占いをすることが流行はやり出しました。当るのも、外れるのもあった中に、この占いの指図で結婚した新婚、再婚の夫婦が三組ほどあったそうです。ところがそのうち石像の台下したで鳴声がするというので、村の青年達が掘り返してみると田鼠が沢山仔こを産んでいました。これを聞いて結婚した夫婦たちはどんな顔をしたでしょう。鼠の媒酌なこうどで結婚したなんて、世間の笑い草です。この例などは、間違えた信仰です。
(かの子は、ここで「迷信」という表現からして結論を言ってしまってトートロジーに陥っているとは思いますが、四国遍路で転んだ瞬間に末期カリエスでの半身不随から立てるようになった水谷しずさんの例
(ここにあります。)やルルドの泉の奇跡にみるように、世の中には人知を越えたことが起こるということも事実です。これは迷信とは言いません。「奇跡」です。)
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