真言宗伝来相承のこと
問。真言宗は一代教主釈迦如来も秘していまだ説示したまふことなかりつる無上最上秘密内証の教門にて、釈尊よりも位尊き自性法身大毘盧遮那如来の説なりと承れり。且つ又自性法身の境界は生死の人の所見に非ずと承れり。然らば其の教門何たる謂れにて此世界へは相伝れることにて侍るぞや。
答。楞伽経の中に釈尊の懸記なされし如く (入楞伽経に 「如來滅世後 誰持爲我説 如來滅度後 未來當有人 大慧汝諦聽 有人持我法 於南大國中 有大徳比丘 名龍樹菩薩 能破有無見 」 )
、釈尊滅後数百年に南天竺の中に大徳の比丘あり。龍猛菩薩と申したてまつる。如来一代の経教をお極めなされついに南天の鉄塔を開いて金剛薩埵に対して親り、両部の大経、あらゆる密教を受けおわりたもふて始めて人間に流布せることなり。
この鉄塔の中に秘密無量の頌あり。佛滅後の数百年の間、能くこの塔を開くことなし。鉄扉鉄鎖をもって封じ閉じたり。龍猛菩薩先より大毘盧遮那の真言を誦持したまへり。毘盧遮那佛しかも其の身を現じ給ひ、及び多身を現じて虚空の中において此の法門を説き給ひ、及び文字章句を次第に写さしめ給ひて、毘盧遮那佛即ち滅させたまへり。即ち今の毘盧遮那念誦法要一巻これなり(要略念誦経とも名ずく)。時に龍猛菩薩持誦成就して此の塔を開かんことを願ひ給ひ、七日の中において塔をめぐりて念誦し、白芥子七粒を以って此れを打ち給ふに、塔門すなわち開けぬ。
塔内の諸神一時に躍出し怒て入ることを得しめず。唯塔内の香灯の光明一丈二丈、名華宝蓋其の中に満ちて懸かり列なれるを見給ひ、又讃の声の此の経王を讃ぜるを聞き給ふ。時に龍猛菩薩至心に懺悔し、大誓願を発してしかして後に此の塔内に入ることを得給へり。
入りおわって其塔尋で閉じぬ。多日を経て此経王の広本を讃じ給へること一遍し給うに、食頃の如しと思ひ給へり。諸仏菩薩の指授を得て記持し忘れ給はず。すなわち塔を出でしむるに塔門尋で閉じぬること故の如し。
そのときに記持し給ふ所の法を書写し給ふに百千頌あり。此経を金剛頂経と名ずくるものなり。(金剛頂経とある中に大日経も相こもれりと知るべきなり)。
菩薩大蔵の塔内の広本は世に絶えてなきところなり。塔内の灯光明等今に至ってきえずと云へり。(是乃不空三蔵金剛頂経義決の文を少々相略し和らげて此に書写するものなり)。是を南天鉄塔相承と申すなり。真言教の人間へ流布の始めなりと心得べきことなり。抑々南天鐵塔相承と申すこと、灌頂門即身成仏の直接相伝、甚深秘密の内証、是あることなり。秘密の正機に非ずしては設ひ少分聞くことを得るも凡て馬耳の風に異なることなかるべし。大日如来、金剛薩埵、龍猛菩薩、龍智菩薩、金剛智三蔵、不空三蔵、恵果阿闍梨、弘法大師、是を三国付法の八祖と申す也。善無畏三蔵、一行阿闍梨を不空三蔵の次に列ぬるは、是を傳持の八祖と申す也。傳持の時は大日・金剛薩埵をば祖師の内へは列ねぬなり。大師より真雅僧正、真雅僧正より源仁僧都と傳はり、源仁僧都の付法に益信・聖寶の両僧正ありて、益信の法流分かれて六流となり、聖寶の法流また六流と分かれて、都合十二流と申す也。廣澤流の源は益信僧正是なり。何れも智行餘ある高徳高僧にて専ら天子御尊崇あさからず。四民均しく其の法利を蒙らずと云ふことなし。具なることは何れも御伝記に是れ有ることなり。益信は本覚大師、聖寶は理源大師と勅諡あり。天下の真言宗右十二流の外にでることなし。
小野六流・・三宝院・理性院・金剛王院・勧修寺・安祥寺・随心院これなり。
廣澤六流・・成就院・華蔵院・西院・保壽院・常喜院・忍辱山これなり。
正徳三癸巳猛夏日
仁和寺末山坂北大聖山山林下陰子 無等等彦岑一時の話𣠽(はは・はなしのとっかかり)を即室に記す」
終り