福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・32/34

2023-11-01 | 先祖供養

 

第三十二番 はんにゃ石船山法性寺。御堂四間四面南向。

本尊聖觀音 立像御長六尺二寸(187.9cm) 行基菩薩御作

 

當寺本尊の來由は、疇昔行基菩薩當郡所々の霊地を開闢せし時、當山にも觀世音を安置し奉らんと、御長六尺二寸に彫刻し、さしも峩々たる巌を一夜の中に穿て、本尊を安置し給へり。誠に巨霊人の手をか るにあらずんば、誰か能く此挙動をせんや。山を石船山と號す。又奥の院有、巌船の形に似て甚嶮し、 此處に弘法大師彫刻し給ふ觀世音まします。其御姿異相にして檝を取り笠をきたまひ、一葉の舟に乗じ 給へり。古昔此國の豊島郡に豊嶋權守と云人有、一人の女を持て寵愛淺からざりしが、生長の後同郡の人に嫁して栄花たとふるに物なし。或時父の方へ行とて船に乗て、犀が淵とかや云る深き潭有處を通りける折から、俄に浪荒く舟は一つ處を渦めぐりて、忽此船は水底に沈べう見へたりしに、船中の者ども魂も消失ぬべき心地してあはて迷ぬ。船長が曰、往古より此所にて此川の主と云ならはす悪魚あって、 船中の人を見入つるとき必かゝる事の侍べる、其悪魚の見入し人の、何にても身に添たる物を水面に投るに必沈む、一人の命を捨て船中數人の命を救ふ事にて侍る、早く各の身に付たる物を投入給へと云に驚き、互に目を見合せ進退谷ぬ。船中の上下一心に諸神諸佛を念じて各持つ處の調度手に任て水中に投るに、さしも沈つべき物だに水面に浮て流行ば、まして輕き者は川風に吹散されて、花紅葉の山颪にあへる に似たり。皆々悦びあへれど、船は猶旋轉として磨の廻るが如し。爰に權守が娘のみ、唯怖て前後を忘じた るのみにて、未調度を投入るにも不及、戦慄て居たる處に、其着したる笠を空中に吹あぐると見しが、 忽水上に落ると等く、渦まく水に巻入て水底に沈みぬ。船中の男女是を見ていとど肝魂も身にそわぬ心地して、主君今悪魚の見入に御命を失ひ給はゞ、吾々が命助りたればとて何ぞ人に面を合せん、唯此儘にて各一所に海底までも姫君の御供申すべしと、一同に詞を揃思切て念佛申て居たるに、姫が曰、自此處に悪魚の難に遇ぬる事も、定て知前世の罪悪の報成事を、今汝等吾と共に死せんと云、志の程は悪魚の腹に葬るゝ後も、魂のあらん程はいかで忘れん、今吾身一つをだに沈ぬれば船中若干の命を救ふ、せめては此志を未來の土産とせば、後の世の苦をも脱れなんか、汝等今吾と共に死せば吾罪彌重かるべし、唯吾心にまかせよと合掌して飛入べう見ゆれば、従者共取付て何との給ふとも、君を捨て某等がながらうべき道にあらねば、何迄も御供仕るべしと歎きけれど、娘敢て許さず、先に汝等が投入し品々、輕重のへだてもなく皆々浮みたるを見ずや、吾は唯怖ろしとのみ思て何一つ投入ざるに、笠を吹取て水底に 巻入たる上は、たとえ汝等吾にしたがひて水中に入とも沈事を得じ、唯吾後の世を得させよとて、ひかへし袂を振はなちて逆巻見水の泡と消て、舟は三つ羽の征矢の如く走り行ば、舟こぞりて泣ども為方なく、 皆同音の念佛の聲を帆に難なく船は岸につきぬ。されど此儘に陸に上り主君には何とか申ひらかんずると、上りもやらで居たる處に小船一艘漕來る。其早事飛が如、女の聲にて人々しばしばと呼、各上思議に 思て是を見れば、主君の姫は船中に恙なくをはせり。其舟をこぎ寄たるを見れば、舟人は先に姫が水底 へ取れし笠を着し、眉面容いとけだかく美き女にてぞ有ける。人々こは何人にて吾君をば御助け座しけるぞや、あな貴、人間の所為とはおもわれねど、上下さゞめき悦も理成ける。舟人姫を陸地へ抱上て、此女子己に悪魚に見入られ、命の限におよべども、心中に觀音を祈る、しかのみならず汝等が共に死せん とせしを留て多命を救ひし志と、汝等主人とゝもに死せんとし忠志とゝもに、天地を感動して吾水中 に入て毒龍悪魚を降伏して、姫が命を救ひしなり。此後彼犀ヶ淵に龍魚諸鬼の難不可有と、舟に竿さしこき出給ふよと見へし、忽舟の形もみえず。跡白浪のあはれ世にかゝる不思議もあるものかと、權の守夫婦を始、一類佗門走集り皆々随喜の泪にむせび、普諸州を巡禮して、此石船山に詣で、奥の院に至て見れば、其地の岩石自然に舟の形に似たり、本尊の御帳をかゝげて拜すれば、こはいかに娘を救ひし 時の御姿に露ばかりも違はず、毗楞伽摩尼賽(びりょうがまにほう如意宝珠)の天冠の上に笠を頂き、一葦の舟に竿さし給ふ聖容もの云かはす計に見へさせ給ふ。此本尊は弘法対大師此山の形船に似たれば、普度慈航の御姿に彫刻ましませし處也。扨は此本尊遥に東方の犀ヶ淵に至らせ給ひ、吾子の命を救はせ給ふ、身を砕骨をひしぎても、此慈恩に報ずべきかはと聲を上て泣ぬ。斯て此處に三日三夜般若心經を書寫して供養し、郡中を巡禮して古里に皈り、此一類別して觀世音を信じ奉り、度々上思議の霊験を蒙りぬ。今も此國には豊島の何某が事跡多く、種々の霊験有し事所々の觀音の縁起に載たり。此霊験を得たるより後、ますます信じて倍感應有が故也。亦當山を般若と云事は、昔日一人の旅僧來て里人に云けるは、吾志願有て經を頓寫せんと欲す、 閑成所有ば吾を寓し給へと。里人の曰、左ようの事をし給はんには、此上の御堂にしく事なし、いざとて案内して御堂に入。旅僧の曰、書寫をはらば麓に出んずるぞ、必ず來て伺べからずと、里人諾して去る。其夜丑みつばかりに異香薫ければ、里人怪みて御堂に忍入、物の間より窺ば貴僧高僧星の如居並び、各如法に御經を書寫し給ふ。方四間の小堂に、かほどの僧侶の居ならび給ふ事の不思議さよ、彼の方丈の室と云へるも斯やありけんと(維摩經に「長者維摩詰、神通力を現せば、即時に彼の仏は、三万二千の師子座の高広にして厳浄なるを遣わして、維摩詰の室に来たり入れしむ」。)、覺へず掌を合て南無觀世音菩薩と唱へければ、有つる貴僧皆一同にかきけして失給ひぬ。里人奇異の思をなし、住僧に此由を語り、ともに内陣に入てみれば、大般若經若干巻有、大に驚、領主に告ければ、奇異の事也、經は永く寺の賽とせよ、麓に般若の守護十六善神を祭るべしと、 領主より造営せられき。是より此地を般若と云。近き頃、筑紫がたの船頭當山に詣で、曰、其昔當山奥の院の觀世音渡慈航の御影を拜受し、本國に皈て持佛堂に安置して朝夕に供養し奉る處に、去歳の冬、 召仕煤拂とて何處へやかひやり捨ぬ。うたてや何方にましますらんと、隅々残る方なく尋求れども知れず、心うき事に思し處に、其夜夫婦同夢を見つ、則觀世音現じ給い、吾は礒の藻屑に入て有ぞと告させ 給ふ。夫婦等き夢の告なれば、夙に起き出で礒きはに行、玉藻かきよせて尋れば、果して御影は掃捨し塵と共に、藻屑の中に坐ませり。餘に有がたき霊夢なれば、則其御影を持來れりとて、院主にも拜させけるとぞ、此事まさに近き事にて人の能知る處也。亦往し元禄年中、當山に行脚の沙門來て本縁を尋聞て、 什物の大般若經を拜せんと乞ふ。住僧の曰く、其經昔は若干有しが、北絛氏の東國を領ずる時、希代の霊寶也拜すべしとて、其居城の紊め置て僅に六巻を當寺に残止めらる。其城中に有しは定て落城の日灰燼とや成つらん不知、亦縁に従って何れの地にか有らん、まづ當寺の残巻を拜し給へと取出て拜せしむ。旅僧熟拜て不思議と云はんも愚成べし、中にも至て奇異成事の侍る、是は正しく高野大師の眞筆なり、誠に世間希有の奇事也。無價寶なるぞかし、穴賢深く秘し給へと云て去りぬ、是當山の第一の霊寶也。本尊の霊験悉く記す事不能、此編には其一二擧るのみ。詠歌に曰、

「ねがはくは 般若の舟に のりを得む いか成罪もうかむやととぞ聞」

按ずるに此詠歌の上の句、般若の舟にのりを得てと有は、恐らくは傳へ誤れる成べし。のりをえんと有べし、えてとあれば下の句と手爾遠波違ひ侍らんか。詠歌の心は般若は苦海の慈航と有は、此舟に乗得てだにあらば、いかなる罪も浮ぶべし、願くば乗得ん事をと一すじに心をかけし歌也。已上。

 

 

 

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