混迷の世界と日本において日本人が何を精神の支柱に据えるべきかと以前より愚考してきましたが
一つの参考事例がみつかりました。もとよりこの田中智學の説をそのまま丸呑みにするのではなくそれを換骨奪胎して新しい日本の支柱を立てることが出来るのではと愚考しています。とりあえず、田中智學の「日本國體の研究」(大正9年)に注釈をつける形で書いてみます。
「『日本國體の研究』(大正9年)田中智學
第一節、 國體の意義、國體とは「國の心」といふことである。「體」とは形と心に通ずる、即ち物心両面にまたがるの名である。・・・「國の心」それがやがて「國の法(のり)」である。「國の建てられたる準縄」「國を為す所以の本旨」「國として存在し発展するについての目安」、それが「國の法」でそれを「國體」といふのだから、予はこれを訓じて「國體(くにつみのり)」といわせている、國でいえば「建國の精神」といふこと、國民について言へば「民族精神」といふことにもなる、只その根が深く源が遠いのである。但しどの國にも國體があるかといふことになると、・・國ができることについて何の目的で建てた國といふ國は世界のどこにも殆どないと言ってよい。(国土と国民、あるいはその人民を不可分であるとするのは、仏典にすでに大きなテーマとして説かれてきたところです。仏典では「成仏國土」と表現されています。「成仏國土」の思想は初期大乗仏教の主要経典である『阿閦佛國経』『大阿弥陀経』『大品般若経』『華厳経』『法華経』『佛名経』などの説かれていますが、・・・もっとも有名なのは『維摩経佛國品第一』です。そこでは『衆生と云う國土こそ實は菩薩の仏土なのである。・・衆生が鍛錬されていく状態、其れに応じて佛國土が考えられる。・・・佛國土は衆生を抜きにして空中にはつくられるはずもなく・・。国土清浄を欲する菩薩は自己の心を治め清めることにつとめるべきである。なんとなればどのように菩薩の心が清らかであるかnよって佛国土の清浄があるからである。・・」とあります。また、弘法大師も「沙門勝道山水を歴て玄珠(げんじゅ、悟りを求める心)を瑩く碑並序」で「夫れ境、心に従って変ず。心垢るれば境濁る。心は境を逐って移る。境しずかなるときは心ほがらかなり。心境冥会して道徳(絶対の働き)はるかに存す。)」と喝破されています。最近では安岡正篤も『日本精神の研究』で「大八州は決して単なる物質ではない。・・天照大神を以て代表せられるわが炎々たる理想精神を無窮に発揚すべき必然的条件として先ずこの大八州が生まれたのであって、日本国土は理想実現の神聖なる使命を有する。仏法の語を仮に用ふるならばまさしく「大乗相応の地」である。」と書いています。)
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