福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんが先日の江戸33観音東京10社参拝記録を作ってくださいました。2

2015-08-14 | 開催報告/巡礼記録
清林寺から、さらに15分歩くと、第二番のお寺に着きます。この頃になると、日差しも強くなってきました。山門入口に、墓地を販売する、お年寄りの男の人が、しきりに、「暑いぞ!!熱中症になるぞ。水と塩分を十分に補給せんといかんぞ!!」と声をかけてくれます。何時ごろから、「熱中症」と言う言葉が、使われだしたのでしょうか?以前は、「日射病」と言われていたものでした。「熱中症」とは、自然の気候異変現象なのか、はたまた、人為的な文明が発達した結果の現象なのか?いよいよ、人類の世紀末の地獄の業火が現出する、前触れなのか、神仏も、末法の人間の所業を見ていたたまれず、記たるべき「地獄の業火」に耐性をつけるべく試練を与えて頂いているのか、考えると、益々、頭から体全体が、暑くなります。
第9番札所 東光山 定泉寺(東京都文京区本駒込1-7-12)本尊 十一面観世音菩薩 浄土宗
元和7年(1621年)本郷弓町にあつた、「太田道灌の弓場跡」を、旗本蜂屋九郎次郎善遠が拝領して、堂宇を建て、増上寺定譽随波上人を迎えて、同寺が、開山したと言います。江戸時代には、「矢場の定泉寺」と言われましたが、明暦の大火の跡、現在地に移転しました。当時は、本堂庫裏、山門鐘楼が揃っていて、鐘楼の鐘は、武州江戸丹波守藤原重正の作で、黎明に響き渡る妙音は名鐘の一つといわれていたほどです。また、同寺には、御府内随一と言われる、「宝簾印塔の六阿弥陀」があり、印塔の六面に御姿が刻まれていて珍しいものとされています。また、江戸時代の作になる「五重の層塔」には、歴代住職の墓の中で、「中興開山登誉見道上人の墓」が、家型墓石で、中に内仏として、観音様が、座しておられるのも、稀有であると評価されています。
気さくに本堂に上がらせて戴き、参拝させていただきます。、豪華な内陣です。寺の外側の回りは、高層マンションが、競い合うように立ち並び、囲まれていて、その底辺に、小さくお寺が肩身狭く?鎮座しているかのような感じを受けるのですが、寺の内側は、豪華絢爛な小宇宙の祭壇があり、お浄土が再現されているようで、ほっとするのです。
江戸札所に連なるお寺は、殆どが、小規模のお寺が多いのですが、仏道の教化に熱心なところがおおいように感じられます。この、定泉寺でも、石田一裕先生(大正大学講師)が、定期的に、佛教の教えを開講しています。お寺を維持してゆくこともさることながら、佛教を広めてゆくことも大切なことで、特に、都会型のお寺の経営には、欠くことが出来ない作業の一つなのでしょう。
本堂にある掲示板にお寺のモットーが書かれ貼つてあります。
「あやまちは誰でもする。強い人も,弱い人も えらい人も、おろかな人も あやまちは 人間をきめない あやまちの後が人間をきめる。あやまちの重さを 自分の肩に背負うか あやまちからのがれて 次のあやまちをおかすか あやまちは人生を きめない あやまちの後が 人生をきめる」
続いて、もう一件。
波紋
「静かな池に小石を投げよ 円い波紋が 大きく大きく広がって どこまでも延びてゆく 人間の考えも行いも 善悪とともにひとたび 動いた心の波は、永遠にのびてゆく 正しい波 悦びの波の源をつくろう」
余談ですが、同寺の玄関奥の受け付け前に、飾り台があり、その台の上に、葉書大のフォトスタンドがおいてありました。写真が入っていて、細身の美人の姿が映っていました。元宝塚歌劇団月組男役の大人気女優・天海祐希さんでした。天海さんは、子供の頃から、同寺に出入りしていて、今も、檀家として、同寺を訪れているそうです。脂粉匂い華やかな宝塚の大スターの知られぬところに、抹香の香りがあることを知りました。
御詠歌 春の日は 東光山に かがやきて 駒込の里に 晴るるうす雲
(続)
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