地蔵菩薩三国霊験記 7/14巻の2/8
二、畫像木像疑を破る事
丹波の國大芋(おくも・丹波篠山市)と申す所に住ける僧、生得地蔵を信じ旦暮勤修しけり。常に畫像を安置しけるがつくずく思念すらく此の如き畫に寫し奉ることは何なる人の方便にてある。今世の者は生身の地蔵を拝み奉る事もなし。あながち然るべからざる事と思ひける一念の起こりけるが次第に不信懈怠にぞなりにける。常に畫工を心掛け人にも畫がき施しけるが直に尊容を拝せで描き奉る事如何と慮りて是の義も都て止めにけり。然るに去る文治二年(1186)疫癘普く天下に充ち廣く地上に道々たる。牛馬巷に倒れ人びとは十に八九は活て残るはなかりければ世に怖ろしくぞ侍る。されば彼の僧俄かに病悩に犯され今を限りと思ひければ、万思を絶ちて一心に南無地蔵薩埵と念ずる中に漸く心身恍惚と物の色香も見分せず六根六識轉倒して四大五蘊も乱雑せり。角して漸く息断へぬ。しかれども戒行に障りなく宿善の便り目出度ければ悪鬼の呵責にはあずからずして獨りいずくともしらぬ高山のけはしき南面にいたる。岸の上にあやしき草庵一宇あり、立寄てみれば禅侶の修行と覚へて僧五六人居て無言にしてありしが庵の東邊に高さ三尺ばかりの床を南向きにたてて其の上に四十餘の僧の俯て書寫し玉ふが何やらんと能々見れば地蔵菩薩にてぞまします。並み居る人に委しく尋ねれば我が師の和尚は三千世界を知見し玉ふに諸佛の出現し玉はぬ國は更になけれども猶不信の衆生多くして動(ややも)すれば無明の酒に酔て結縁の種を失ふ。又悪道に輪廻して三途の街(ちまた)に迷はんことを愍み玉ひ且く此の丈室に思惟して業報深重の輩に交り出離生死の位に入りしめ玉ふ方便なり。然れば則ち生身の地蔵の御遺像にて真佛と全く隔てなしと、一念の中に日頃の不審をはらし貴く思ひけるほどに願はくは畫像一幅施與玉へかしと申しければ、汝既に僧なり心の外に別に求むべからず。修行の積善遂て佛道を成す。懈怠の至極必ず無間の種とあんる。凢そ結縁とは世俗愚昧を導く大網なり。汝にあたふべきの聖像今はなし、堅く求めたくば明日を期すと言けり。彼の僧喜く思ひ向後参り拝し奉らんと申しければ若き僧の曰、常には来ることあたはざる處なり、此れは即ち須弥山の南面是梵行三昧の道場なり。二度び来る事かたかるべしと云ふかと思へば蘇生しけり。自尒已来昔の非を正しける所に袂に繪一幅あり、見れば夢中の如くに覚へし僧の畫き玉ふ像にまぎることなし。是即ち薩埵の自畫何の疑かあるべきと疑網皆已に除て我が身も是の像を寫し奉りて衆人に施しけるほどに末頼母敷くぞ見へける。是則ち菩薩摩頂の御利生にあつ゛かれるものか、されば法華経には綵畫作佛百福の荘厳相自作若し使人皆已成佛道とも(妙法蓮華經方便品第二「彩畫作佛像 百福莊嚴相自作若使人 皆已成佛道」)亦は一称南無佛皆已成佛道とも説き玉へり(妙法蓮華經方便品第二「若人散亂心 入於塔廟中 一稱南無佛 皆已成佛道」)。何の偽りかあるべき寝ても覚めても名号を唱へいつはる心なくんば必ず地蔵現じ玉ひて身に随ふ影の如く信心ある前には草木も光を放ち不信の前には金も徳を失へり。さればよしなきことに心神を悩まされ勤むべき佛法には功徳を失ふ。人のすすめなくとも一花一燈の少なき志をも励まさばなどか験のなからんや。」今日の中の因縁少なからず。争でか私に説を構へ利生の速やかなること眼前にあきらかなり。偏に地蔵薩埵の本願を頼み奉り自他共無為の域に入ん事を求むべし。
引証。本願經に云、是の地蔵菩薩六道一切の衆生を教化して發する所の誓願劫數千百億恒河沙の如し、乃至能く塑畫し乃至金銀銅鐵を以て地藏形像を作り燒香供養瞻禮讃歎せば是人居處に即ち十種の利益を得ん(地藏菩薩本願經地神護法品第十一「亦化百千身形度於六道。其願尚有畢竟。是地藏菩薩教化六道一切衆生。所發誓願劫數如千百億恒河沙。世尊。我觀未來及現在衆生。於所住處於南方清潔之地。以土石竹木作其龕室。是中能塑畫乃至金銀銅鐵。作地藏形像燒香供養瞻禮讃歎。是人居處即得十種利益。何等爲十。一者土地豐壤。二者家宅永安。三者先亡生天。四者現存益壽。五者所求遂意六者無水火災。七者虚耗辟除。八者杜絶惡夢。九者出入神護。十者多遇聖因」)。