・今日治承二年1178、10月25日は守覚法親王が建礼門院お産の為に六波羅蜜寺において孔雀経法を修した日です。これにより安徳天皇が無事生れています。
守覚法親王は仁和寺諸師年譜には「喜多院御室法親王守覚。後白河院第二皇子なり。永暦元年1160,二月十七日年十一、紫金臺寺御室覚性に随って出家。同十月五日東大寺戒壇院に於いて受戒。於仁安三年二十七日観音院受灌頂紫金臺寺御室。経年、廣澤の淵源を究め尽くす。後に醍醐寺覚洞院勝賢僧正に謁しまた小野の玄奥を盡す。秘抄並びに 野択,野月等の制作あり。小野方のために書を重ねてこれを伝ふ。その草本今に御室の経蔵にあり。大凡、この親王は御室法流の中興なり。学は野沢を極む。書は梵漢を能くす。修法の暇に和歌に達す。また文筆を好む。これに依って撰述の書、数部あり。その中修法要抄、拾要集、幷に右記・左記等現在もこれを伝ふ。仁和・円宗・円融・円教寺等の検校に補任す。また六勝寺長吏を兼ぬ。勅請に応じ、修法すること十三箇度、効験これ多し。就中、治承二年十月二十五日、宮中御産所に二十口の伴僧を引率し孔雀経法を修す。同年十一月十二日皇子誕生、翌日御感あり。勅書にいわく、先に三条殿においてこの法を修するの時、霊験殊勝なり、いままたかくの如し。謝する所なし云々。今に至るまで御室経庫にあり。奇珍の随一なり。建仁二年八月二十五日入滅。年五十三.」