「・・・今から思うとこの四年のあいだに(求聞持をはじめた大学時代の二十二歳(1942年)から海軍生活を経て敗戦占領時代の二十六歳(1946年)の4年間)わたくしは求聞持の不思議な力にみちびかれていつのまにか空海さんの世界のもんをくぐってしまったのではないかとおもわれます。その門のほとりにはおそろしい仁王さんでなく70歳をこえて円熟した偉大な先達、長谷宝秀せんせいと金山穆韶先生がいらっしゃってにこやかにこの世界に迎え入れてくれたのです。・・・空海は処女作の「三教指帰」以来、当時の東アジアに並立していた儒教、道教、仏教の三教を視野におさめながら、仏教思想に焦点を絞る検索に専念したのですが、その仏教思想のとらえかたが「三教指帰」では小乗をこえて大乗ならびに如来蔵の思想に至るにとどまったのが、「十住心論」や「秘蔵宝鑰」ではそれらを超える天台や華厳をもさらに超えて、十段階の頂点にいちずけられる真言密教の境地、「秘密荘厳心」を視野にいれるにいたったのです。
「著作年表」によりますと1969年10月に「照葉樹林文化」1970年8月に
「西田幾多郎」1971年5月に「日本の思想」1972年7月に「神々の体系」などが刊行されています。これらの著作はわたしの思想的な関心が現代文明の表層をおおっている西洋起源の科学思想から日本文化の深層に生きる思想へと重心を移しつつあるということが出来るように思います。・・・
このとき以来わたくしは空海を離れたことはございません。・・・私の心はゆったりと空海の世界にすみついてしまったのです。・・・」(上山春平「求聞持から空海の世界へ」終わり)
「著作年表」によりますと1969年10月に「照葉樹林文化」1970年8月に
「西田幾多郎」1971年5月に「日本の思想」1972年7月に「神々の体系」などが刊行されています。これらの著作はわたしの思想的な関心が現代文明の表層をおおっている西洋起源の科学思想から日本文化の深層に生きる思想へと重心を移しつつあるということが出来るように思います。・・・
このとき以来わたくしは空海を離れたことはございません。・・・私の心はゆったりと空海の世界にすみついてしまったのです。・・・」(上山春平「求聞持から空海の世界へ」終わり)