宮崎。墓地に居おらざる総ての幽魂は何地に於おいて祭祀を受くるや。彼等は祭場にも来るか。
幽魂。顕世にて五百年の間も引続きて行い来れる祭事は幽界にても大体その如く定まれるもの也。されば不図ふと祭りの月日を改め、霊魂に告げずして執行すれば、之が為めに却って凶事を招くことあり。そは霊魂が従来規定の祭日を思い出でて享うけに来るに、その事なきが故なり。又顕世にて同時に数ヶ所にて祭祀を行うことあらむには、霊魂は数個に分れて、各々其所そこに到りて祭を享うくべし。縦令たとえ百ヶ所にて祭るとも、霊魂は百個に分れて百ヶ所に到るべし。尤もっとも我等の如き者の魂は一つに凝りてさる自由は得難し。
宮崎。墓地に居おらざる幽魂は何地に居いるものか、大凡おおよそにても承り度し。
幽魂。幽魂の到り集る所は此所彼所ここかしこに多くあれど、そは現界に生を享うくる者の知らでも済む事なり、只ただ死後人の霊魂の行くべき所はあるものと心得居いて可よし。死したる後は生きたる人の考とは大に異なるものにて、幽事は生ける人の耳目の及ばぬものなり。耳目の及ばぬ事は言うだけ愚かなり。死すれば忽たちまちに知れるものぞ。
宮崎。その儀一応は尤もっともなれど、仏法にては死後行くべき所を人に知らしめて安心せしむるを主眼とし、儒道も亦また之これを説かざるにあらず。されば今日の所にては、之これを世人に知らしむるの要なきにもあらず。右儒仏の唱うる所何いずれが実説なりや。
と宮崎氏の質問は次第次第に急所に向って突き込むで行くのでありました。
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