11月24日(日)は坂東三十三13番浅草寺14番弘明寺をお参りします。京急弘明寺駅10時半集合です。
13番浅草寺・14番弘明寺の霊験です。
坂東観音霊場記による記述です。
「13番浅草寺。本尊大悲観世音菩薩は推古天皇のとき、漁民の網にかかり水中示現された御長1寸8分の聖観音様、之を引き上げた漁夫はその後豊漁となり堂を建て出家したが死後は三社権現としてまつられた。そのご勝海上人を開山とし、慈覚大師を中興の祖とする。醍醐帝の時代、平の公雅はこの観音さまのご加護で武蔵野圀の太守になれた。源義家、頼朝、足利尊氏、徳川家康等が信仰し寺領を寄進した。金龍山というのはこの境内の狐山から金の龍が飛び出したからである。
14番弘明寺。弘法大師開基、ご本尊行基菩薩作十一面観世音。これ行基菩薩が巡錫の折、神人から善無畏三蔵の神託をうけ刻んだ。神人のいうことには善無畏三蔵は密教相伝の地を求め日本にきたとき、陀羅尼をかいた七つの石を加持して弘明寺に置いたということである。この石は霊石で必要な時は自ら姿を現わすとされ、明和年間の弘明寺造営の時はこの石が現れたおかげで資金不足が解消され造営できた。大師は筑波山に居られたときこの地から瑞雲が立ち込めるのをご覧になり、この地にこられて四肘不動尊、愛染明王、キリク字の宝塔をつくられた。朱雀院の時代、疫病が流行し死体累々となったが、弘明寺住職光慧阿闍梨は十一面観音法を修法したところ各家家に老僧があらわれて寶瓶の水をそそいでまわりそのおかげで人々が疫病から救われた。そのおかげで弘明寺も栄えることとなった。御詠歌の「ありがたや、ちかいのうみをかたむけて、そそぐ恵みに、醒るほのやみ」というのはこのときのことを詠んだものである。」
13番浅草寺・14番弘明寺の霊験です。
坂東観音霊場記による記述です。
「13番浅草寺。本尊大悲観世音菩薩は推古天皇のとき、漁民の網にかかり水中示現された御長1寸8分の聖観音様、之を引き上げた漁夫はその後豊漁となり堂を建て出家したが死後は三社権現としてまつられた。そのご勝海上人を開山とし、慈覚大師を中興の祖とする。醍醐帝の時代、平の公雅はこの観音さまのご加護で武蔵野圀の太守になれた。源義家、頼朝、足利尊氏、徳川家康等が信仰し寺領を寄進した。金龍山というのはこの境内の狐山から金の龍が飛び出したからである。
14番弘明寺。弘法大師開基、ご本尊行基菩薩作十一面観世音。これ行基菩薩が巡錫の折、神人から善無畏三蔵の神託をうけ刻んだ。神人のいうことには善無畏三蔵は密教相伝の地を求め日本にきたとき、陀羅尼をかいた七つの石を加持して弘明寺に置いたということである。この石は霊石で必要な時は自ら姿を現わすとされ、明和年間の弘明寺造営の時はこの石が現れたおかげで資金不足が解消され造営できた。大師は筑波山に居られたときこの地から瑞雲が立ち込めるのをご覧になり、この地にこられて四肘不動尊、愛染明王、キリク字の宝塔をつくられた。朱雀院の時代、疫病が流行し死体累々となったが、弘明寺住職光慧阿闍梨は十一面観音法を修法したところ各家家に老僧があらわれて寶瓶の水をそそいでまわりそのおかげで人々が疫病から救われた。そのおかげで弘明寺も栄えることとなった。御詠歌の「ありがたや、ちかいのうみをかたむけて、そそぐ恵みに、醒るほのやみ」というのはこのときのことを詠んだものである。」