帰りは電車に乗ることにして満濃池近くの塩入駅の待合室で待っていました。するとおばあさんが入ってきて話し掛けます。捨身が岳にもお参りしたというと「昔、父が地元の人と一緒に捨身が岳禅定の鐘をワイヤーで引っ張り上げ奉納したんです」という。30kM近く離れた満濃池でしかも捨身が岳禅定にお参りした同じ日に、そこの鐘を奉納した人のお子さんと遭うとは・・・。
77番道隆寺へは別格海岸寺から5キロ弱です。歩いてすぐです。天平勝宝元(794)年和気道隆が誤って殺した乳母の供養のため建立した後お大師様が訪れ薬師如来を刻みご本尊とされたということです。国道に沿ってあります。 以前お遍路の話をしたとき友人の一人はこの77番道隆寺のちかくの生まれといいました。子供のころは遍路を「辺土」といいあまりいいイメージはなかったといいます。此の人は高級官僚になっている人ですが少しでも地元の有難い歴史を思い出してもらえたらと思いました。
お寺の境内に不思議な「7つ灯台のことば」という石碑があります。ここには「天地一切のものと和解せよ、和解とは感謝なり、天地万物と和解せぬときは神は助けたくとも助けることができぬ・・・」と書かれています(注)。このことばは素晴らしい力を持っていると思います。何十年か前に叔母にこれと似た言葉を教わりました。私自身身、人をうらみに思ったことは数限りなくあります。しかし恨んでいたからといって自分にいいことは何もありません。そのつどこの言葉を思い出し感謝にかえるように努力しています。お遍路では恩讐をこえておもいつくかぎりの人々の幸せを祈念しました。
すると信じられないほどおかげがでてきます。例えば他人の窮地を救うために祈ったものはすべてききいれられました。重度のうつ病、末期癌すべて快癒に近い状態になりました。(しかしまだ心には無始以来の業から来るわだかまりがないとはいえません。 )
ただ原理は分かりましたのであとは実践あるのみです。「人を呪はば穴2つ」といいますが「周りに感謝すればお蔭は無限」です。
(注、後で調べると、これは生長の家の教えの様ですがお寺に生長の家の言葉が彫られているにびっくりです。しかしいいものはいいと思います。ネット調べると全文は以下のようなものでした。
「七つ灯台の言葉、
汝ら天地一切のものと和解せよ。
天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。
天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。
汝が何物かに傷つけられたり、黴菌や悪霊に冒されたりするのは
汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。
われ嘗て神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。
汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。
神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。
天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である。
本当の和解は互いに怺え合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。
怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。
感謝し合ったとき本当の和解が成立する。
神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。
天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ。
皇恩に感謝せよ。
汝の父母に感謝せよ。
汝の夫又は妻に感謝せよ。
汝の子に感謝せよ。
汝の召使に感謝せよ。
一切の人々に感謝せよ。
天地の万物に感謝せよ。
その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう。
われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。
われは此処に見よ、彼処に見よと云うが如くにはいないのである。
だからわれは霊媒には憑らぬ。
神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ。
われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。
われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。」
77番道隆寺へは別格海岸寺から5キロ弱です。歩いてすぐです。天平勝宝元(794)年和気道隆が誤って殺した乳母の供養のため建立した後お大師様が訪れ薬師如来を刻みご本尊とされたということです。国道に沿ってあります。 以前お遍路の話をしたとき友人の一人はこの77番道隆寺のちかくの生まれといいました。子供のころは遍路を「辺土」といいあまりいいイメージはなかったといいます。此の人は高級官僚になっている人ですが少しでも地元の有難い歴史を思い出してもらえたらと思いました。
お寺の境内に不思議な「7つ灯台のことば」という石碑があります。ここには「天地一切のものと和解せよ、和解とは感謝なり、天地万物と和解せぬときは神は助けたくとも助けることができぬ・・・」と書かれています(注)。このことばは素晴らしい力を持っていると思います。何十年か前に叔母にこれと似た言葉を教わりました。私自身身、人をうらみに思ったことは数限りなくあります。しかし恨んでいたからといって自分にいいことは何もありません。そのつどこの言葉を思い出し感謝にかえるように努力しています。お遍路では恩讐をこえておもいつくかぎりの人々の幸せを祈念しました。
すると信じられないほどおかげがでてきます。例えば他人の窮地を救うために祈ったものはすべてききいれられました。重度のうつ病、末期癌すべて快癒に近い状態になりました。(しかしまだ心には無始以来の業から来るわだかまりがないとはいえません。 )
ただ原理は分かりましたのであとは実践あるのみです。「人を呪はば穴2つ」といいますが「周りに感謝すればお蔭は無限」です。
(注、後で調べると、これは生長の家の教えの様ですがお寺に生長の家の言葉が彫られているにびっくりです。しかしいいものはいいと思います。ネット調べると全文は以下のようなものでした。
「七つ灯台の言葉、
汝ら天地一切のものと和解せよ。
天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。
天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。
汝が何物かに傷つけられたり、黴菌や悪霊に冒されたりするのは
汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。
われ嘗て神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。
汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。
神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。
天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である。
本当の和解は互いに怺え合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。
怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。
感謝し合ったとき本当の和解が成立する。
神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。
天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ。
皇恩に感謝せよ。
汝の父母に感謝せよ。
汝の夫又は妻に感謝せよ。
汝の子に感謝せよ。
汝の召使に感謝せよ。
一切の人々に感謝せよ。
天地の万物に感謝せよ。
その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう。
われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。
われは此処に見よ、彼処に見よと云うが如くにはいないのである。
だからわれは霊媒には憑らぬ。
神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ。
われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。
われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。」