福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金山穆韶師の「仏教における個体の観念」・・・63

2017-07-13 | 霊魂論
かかるHrdaya、Citaの二心(第八阿頼耶識(潜在意識)、第九菴摩羅識(仏性))、理・智(真理と智慧)、蓮・月(蓮が真理、月が智慧)不二冥合の体、これ菩提心の如実の体である。しかして東方第八識發心の智が、如実に中央第九識心の理に契合し、理智冥会し、真自覚の現成せる位を南方の修行位となす。この位は五部の中には寶部にして、これ色界頂に於て自証の大覚を成じ、灌頂受職の成道を唱へ、三界の心の転起を明かすものにしてまた五転五智(阿閦(発心)・宝生(修行)・阿弥陀(菩提)・不空成就(涅槃)・大日(方便)の五転、五智は法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)は一切如来の自証法界の開顕と、衆生本有の浄菩提心の転起を明かすものにしてまた五転五智は各具の体なればこれを分離して釈し得ざるも、一応五智分離の釈に準ぜば、南方修行は理智真自我の、真自覚の現成せし位である。法界の主となり真我の発生せし位である。

南方行位に配せらるる第七識(末那識)は地論家、唯識家の所釈一様ならざるものあるも、而も第七識は因位の妄我の生する自体なりと観る点において一致するものである。即ち因分の妄我は第七識がその自体にして、果位の真自覚体の発生は、南方平等性智なりともいひ得らる。

東方第八識(阿頼耶識(潜在意識))、発心、即ち自心性を如実に体せんとの最高の要求生じ、能所主客の細念を泯じ、純一無相に住し本有の浄菩提心体に契合するとき煩悩業生の生死の生を離れ、如来常住の生を体せらるるのである。

此の如く妄我の聖化せられ真自我の顕現せられたるを南方修行位と云ふ。しかして此の真自我の表現の相を明かすものは西方の証菩提と北方の入涅槃、所謂妙観察と成所作智である。

即ち南方理智不二の境はただこれ理智冥合の観照三昧に住するの意にあらず。真自覚の体を三世常恒に開顕せる霊活体である。しかして理智不二の真自覚の体の智徳の開顕の相を明かすものは西方証菩提、妙観察にして、理智不二の真自覚の体理徳の開顕を明かすものは北方入涅槃、成所作智の妙体である。

まとめると、
中央ー大日ー第九識(菴摩羅識)ー法界体性智。
東ー阿閦ー第八識(阿頼耶識)ー大円鏡智。
南ー宝生ー第七識(末那識)-平等性智。
西ー阿弥陀ー第六識(意識)ー妙観察智。
北ー不空成就ー前五識(眼耳鼻舌身)ー成所作智。)


しかも真言密教の涅槃観は、小乗及び一般大乗仏教と其意味を異にす、即ち小乗の涅槃は個人格の永劫に寂滅に帰せる境にして、大乗にては個体の絶対真理の理に還源せる境地である。しかして一般大乗教にても、小乗の異なり、涅槃法性の識に化他の妙用を示現することある旨を明かすも而も報応身等の化他の妙業は、これ衆生の業識(迷いの心)、事識(意識)の浄薫力に応じて化現したる方便の用なりとす。

しかるに真言密教は涅槃における化他の妙用は、方便化現にあらず化他の妙業が法性涅槃自体自らの妙用なることをあかすものである。これ一般大乗は究竟法身は化他の霊用なき無相の理なりと観、真言密教は究竟法身は絶対の霊格体にして、法爾として化他の妙用を三常恒に示現しつつありとなす相違に基ずくものである。

また密教にては涅槃は個体が一如の寂滅の理住せる境にあらず、個体が各々自覚自証自の法界三昧に住し、三世常恒に自の本誓三昧を示現しつつある妙体となすものである。此の自の法界三昧の示現が即く化他大悲の妙用の顕現である。

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