福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛教人生読本(岡本かの子)・・その47

2014-03-25 | Q&A

第四七課 利己主義


 利己主義ということは、人間の生きて行く上において是非必要なことでありますが、それを余り強調拡大させると、隣人はもちろん、社会にまで迷惑を及ぼします。ですから今では殆んど吝嗇しわんぼうとか、欲張りの代名詞になっています。これは誠に残念に思います。正当に利己主義を使うことが日本ではまだ実行されていないようにさえ思います。そのために随分無駄をし過ぎたり、お互いに邪魔をし合ったりしているのを見受けます。
 フランスやドイツの田舎の農家などを私どもが訪問したり招待されて行って見ますと、非常に喜んで大歓迎をしますが、夜の十時半頃になりますと、そこの夫妻が立ち上って、「私達は明日の仕事があるから一足先きに眠ることにするが、あなた達は、わざわざ楽しみに来てくれましたから、どうか思う存分、徹夜して騒いでくれ、それからいろいろご馳走もここに在りますから、どうぞお勝手に食べて」、そう言って、私たちお客のところへ近寄って、その家の玄関の戸ドーアの鍵を手渡しながら「お帰りの時、この鍵で外からかけて下さい。そしてその鍵を郵便受け函の中へ投げ込んで置いて下さい」と言って、別れの握手をして、夫婦は眠りに寝室へ去ります。後に残された私たち日本人らは、へんな気抜けした気持ちで騒ぐことも止めて、すごすごと帰ってしまいますが、外国人はそれを非常に好意に取り、また、そうするのが当然あたりまえとしてお客に行った家で、夜ふけまで騒ぎ廻ります。またそうして貰った方がその家の者も後で気持ちよいそうです。
 かように、自分の明日の仕事に少しも差支えのないことで客人達を喜ばせ、客人達もその利己主義を許容ゆるし、主人夫妻をして明日のために充分眠らしめ、そこで自分も安心して自分達の愉快を尽すというところに、本当の利己主義の妙味があると思います。
 こういうことは、因習、風俗、制度などの少しく異なる日本に、今直ぐ応用すべきことでないかも知れませんが、参考にはなると思います。
 日本では、こういう場合に、客人達に義理立てして、客人達全部が帰ってしまうまで、二時でも三時でも起きて付いています。そしてとうとうその夜は寝ずじまいになり、客人達もその義理立てを当然あたりまえに思って平気で居ます。そういうことが度々続いたとしたら、その結果はどうなるでしょうか。主人夫妻の方ではその翌日の仕事が駄目になりまして、その不満がお客に向うと、「あのお客達は長尻で困る」などと愚痴をこぼし、終しまいには訪問されるのを嫌うようになります。またお客達の方でも少しは気の毒に思ったり、恐縮することもありましょう。これではお互いの親善とか好意が無駄になります。
 物事には程が必要ですが、それは、お互いにお互いの利己主義を認め合い、お互いのためを思い合って、お互いの利己主義を出来るだけ調和して発揮させて行くことが、博愛主義にも通ずる利口な利己主義の使い方だと思います。かくして健全な独立した個人による調和された社会、国家が成立つのであります。仏教でも、まず第一に自己を立てることを勧めます。お互いが自己を立てようとすれば、勢い他を立てることになります。それを利他と言いまして、自利、利他、相まって、完全な人生を出現させようと仏教は説いております。
(経典ではほとんど「自利利他」として自利と利他をセットで使っているようです。たとえば
雜阿含經 では「 是の故に比丘よ當に觀ずべし、自利利他は自他倶に利す。」等です。深く観察すると自利と利他は同じことであるといっているのでしょう。その根底には自他一如の考えがあると思われます。華厳経でいう「心・佛・衆生、是三無差別」です。)
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