Q,お蔭を頂けている人といただけてない人の違いは?
A,、「・・祈祷(祈り)の結果を思い煩うものには永遠に霊験は得られない」(那須政隆師(大正大学学長、真言宗智山派管長)「真言宗における加持祈祷の一考察」より)
「真言祈祷の真の意としては、本不生空に住することが肝要であって、その天地に至ればもはやすべてが霊験として受け入れられ、そこでは霊験の有無は問題とならないのである。真に祈祷するものは(拝むものは)本不生空の不可思議によって一切に自由なることを得て霊験の有無に煩う心を超絶することとなる。・・七難九厄即滅の祈祷は七難九厄という客観的状態を消滅するということよりは、むしろ七難九厄という状態に遭ってもそれを危難と感じない霊力を獲得することであり、七難九厄をも霊験として受け入れるような生命力に恵まれることなのである。つまり祈祷する心に(祈る心に)霊験の有無を論じる余裕をもつようではまだ真の祈祷ではなく、したがって本不生空に徹することも不可能であって、到底霊験を感得し得ないのである。真の祈祷は、絶体絶命、自己の全生命を打ち込んでなされなければならない。もし真に迫って祈祷するならば自己の見執(狭いとらわれ/垢)を超えて如来に渉入し、如意満足の霊験を感得するのである。要はただ祈祷に自己のすべてを打ち任せるか否かにある。結果の如何を思い煩うものには到底霊験が恵まれるはずもない。・・日夜に祈って倦むことがなければ必ず福智円満の悉地に恵まれ、人間最上の法楽三昧を獲得するであろう。」したがって我々真言行者の「すべての生きとし生けるものが仏様と同等になり幸せでありますように」という毎日の祈願も疑わなければかなえられることになります。
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