後期高齢者にもなるといろいろな友人の人生を見てきて考えさせられることが多くなります。
数年前旧友がパーキンソン病で死去しました。この人は空手5段で司法試験に現役で合格し弁護士になりましたがすぐにパーキンソン病になり数十年患って死去しました。亡くなる前は東大のキャンパスが懐かしく車いすで今生の別れに友人に押してもらい一周したとのことでした。20代が華だったのでしょう。さみしい人生だったようにもみえました。
このひとと比較してもう一人の友人の事が思い出されます。
もう一人の友人は地味な性格で公務員になりましたが仕事上で大きな成果をあげることはできませんでした。50を前にリタイヤさせられ地方を転々とさせられた挙句某一部上場企業(地方)に入り数十年つとめあげて昨年終に副社長まで上り詰めました。いまも現役です。この地味な性格の友人は学生時代から日常的によく人の世話をしてきました。わたしも結婚式の司会を頼む等、大変信頼のおける生涯の友となっています。
他方で若いときは文武両道で飛ぶ鳥を落とす勢いだった弁護士の友人は、人から恨みを買っていました。くわしくは書けませんが、多分この恨みがこの弁護士の病を引き起こしたのだと思います。
このほかにも「恨み」を受けて人生が暗転させられた人を多く見てきました。恨みは恐ろしいものです。世に「やり手」と言われる人たちがほとんど途中で失脚するのはこういう恨みによるものが多いと思われます。
逆に「隠徳」を積んでいる人は地味でも必ず最後は報われています。