福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は大師が満濃池修築別当に任ぜられた日です

2024-05-27 | お大師様のお言葉


弘仁十二年(821年、大師御年四十八歳) 五月二十七日、大師は讃岐国満濃池の修築別当に任ぜられています。 (弘法大師全集)
「高野大師御廣伝」には「請傳燈大法師位空海宛築満濃池別当状」があります。それには「・・浜継等、去年より修築を始めるが池大にして民少なし、築いまだならず、・・件僧空海・・道俗欽風、民庶望景、いればすなわち生徒市をなし、出ればすなわち追従するもの雲の如し、・・百姓恋慕すること父母の如し。・・」と書いてあります。いかにお大師様が当時から庶民に慕われていたかがわかります

「日本紀略」にも「讃岐国言す。去年より始めて万農池をつくるくも、工(わざ)大にして民(たみ)少なし。成功、未だ期せず。
僧空海は此の土(くに)の人なり。山中に坐禅せば、獣(けもの)馴(な)れ鳥狎(な)る。海外に道を求め、虚しく往きて実(み)ちて帰れり。茲によって道俗は風を欽(ねが)生徒(しょうと)は市をなし、出ずれば則ち追従するもの雲のごとし。今旧土をはなれて、常に京に住す。百姓(しゃくせい)、恋慕すること父母のごとし。もし師来ると聞かば、必ず履(くつ)を倒(さかさ)にして相迎せん。伏して請う、別当に宛て、その事を済ましめんことを。これを許す。」。六月十六日、造東寺別当(ぞうとうじべっとう)に任ぜらる。

満濃池は不思議なところです。平成18年・19年・24年と四国遍路で3回満濃池の別格神野寺を御参りしていますがその都度ふしぎなことに出会います。平成十八年のお参りの時は帰ろうとすると境内で遊んでいたヨチヨチ歩きのお寺の子が近付いてきました。そして黙ってもみじのような手に握った石を二つ渡してくれました。 あとから思うともう一度こいということだったのでしょう、一年もたたないうちに又お参りができました。そしてその後この子と同じようなかわいい孫まで授かりました。また十八年のときは帰りに塩入駅の待合室で不思議なおばあさんが入ってきて私が、さっき捨身が岳にお参りしてきたあとここ満濃池に来た、というと「昔私の父が地元の人と一緒にワイヤーロープで捨身が岳の鐘を山の上まで引き上げ奉納したのです」といいました。捨身が岳はここ満濃池から30キロ以上離れたところです。捨身が岳にお参りした同じ日に不思議な人と遇いました。これも御大師様のお計らいだったのでしょう。
平成19年2度目の遍路のときは塩入駅から満濃池へはタクシーで行きました。白髪の運転手さんが不思議な人で信仰譚を語りだしました。 「わたしは喉にポリープができて声がでなくなりました。仕事になりませんでしたが手術もいやでしたのであるご縁でお地蔵様に21回の願掛けをしました。このお地蔵様をおまもりしている行者さんのいうことには『神仏に念が通じれば必ずおかげはいただける』とのことでした。案の定18回目くらいからすこしずつ声がではじめ、21日にはすっかりよくなりました。ありがたいことでした。いまもお礼におまいりは欠かしません。」といいました。

池の堤には昭和天皇行幸碑もあり、ここまで来られた昭和天皇のご遺徳の深さにも感銘します。



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