福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・13 /34

2023-10-13 | 先祖供養

 

第十三番 はけのした 籏下山慈眼寺。御堂七間四面南向。

本尊聖觀音 立像御長九寸五分(約29センチ) 行基菩薩御作

當山は日本武尊東國を征し給へる時、信濃國、越の國いまだ従ひ奉らされば、甲斐國より北に轉じて武 蔵上野を歴給ふ。此時當所に御籏を建させ給ふが故に籏の下と云しを、年經て里人其本據を取うしなひて、はけの下と呼。されば當時のいまだ艸創せざる古へより、其地佛意に叶處にや有けん、月白く風清き夕は(「月白風清」は槐安国語)、必ず紫雲下り異香薫し、迦陵頻伽の聲各和雅の音を出し、天より曼陀羅花を雨し、瑠璃、摩尼等の六種の瓔珞、六種の瓔珞の事は法華の定珍の抄に委し、輝きわたり、自然の樂器飛翻して綾吟、箜篌、琵琶、羯鼓、奚婁(けいろう・古代の鼓)、法螺の聲すみて、五々の菩薩歌詠讃歎し給ふ事常なりしかば、處の人此地を檀の下とも云。或時例より異に音樂響わたり玅音切に聞へけるが、夜明て見れば此尊容巍然として岩の上に坐す。里人奇異の思をなし、 永く此地に止り給ひ、衆生を済度し給はん事を願求し、有信の郷民土木を運び、富有の居士等は財寶を投 て、殿堂不日にして成就す。開闢の日に當て一僧來り本尊を拜し、此尊は正しく行基の彫刻也。此地有縁の像なれば他邦より飛來り給へり。謹で供養し給へと、云畢て忽其去處を知らず。是必ず行基菩薩なるべし。當寺の檀主大宮町の高野氏は、一族廣き百姓にて、近國にも其名を知られたる者也。此の一族の中に江府の中橋と云處へ嫁したる女子ありしが、徃明暦丁酉(1657)の年正月十八日の火災に、萬死を出て一生を 得たる事、當山の霊験によれり。其事近世板行せし空穂猿と云艸紙に委く見たり(御伽空穂猿巻第五

「秩父慈眼寺の観音霊験の事」)。其者の子孫江府に現 存せり。霊験の事跡は彼双紙に讓て此に畧す。詠歌に曰、

「御手に持つ 蓮の菷(ほうき)殘りなく 浮世の塵を はけの下寺」

此歌の意は、観音の御手に持給ふ未敷蓮華を、一切衆生の罪障の塵芥を掃除する箒なると詠じ、當山の俗称はけの下と云に任せて、後世の人の詠じたる也。必ずしも旗の下の𦾔名泥てこの歌を難ずべからず。観世音の未敷蓮華を持たまふは、衆生心中の妙法、蓮花の未敷さるを必ず敷しめんとの誓を表す。已上取意。常念恭敬の輩は、浮世の塵を殘りなく掃捨て、無常清浄の光を現ぜん事疑なし。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 塔婆は「本当のわれ」の姿である | トップ | 秩父三十四所観音霊験圓通傳... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

先祖供養」カテゴリの最新記事