水無月護国寺参拝記
梅雨の最中、釉薬のような白灰色の雲がたれ込めた空が広がる午後、雨は雲に留まったまま地上に落ちることはないものの、気温が15度前後と梅雨寒の中の参拝となりました。
参拝者の増加にともなってか、最近は護国寺本堂の堂守りの僧侶の方も2名体制となっているようです。また、私どもが読経をしている際にも、見ず知らずの参拝者の方が一緒に手を合わせてくださる事もしばしばあり、さざ波のように静かにけれど確実に仏縁が広がっていることを実感します。
いつもの通り高原講元のご指導のもと読経を行い、その後今回は角田さんより蜜厳流のご詠歌の同行和讃をご披露いただきました。角田さんは今年の4月に成田山で行われた蜜厳流のご詠歌の全国大会に高尾山のご詠歌のメンバーとして参加されたそうで、しみじみとした情緒にあふれたご詠歌をお聞かせくださいました。
参拝を終えゴミ拾いをした後、ジョナサンで談話となりました。講元からは、行をしない「解説者」が語る仏教と、実際に行を行う「実践者」が語る仏教とは、同じ仏典を語るにしても全くの別物である。また、お釈迦様にしてもお大師様にしてもあるいは他の高祖や高僧にしても、みな実践者であったわけで、そこには、とうてい計り知れない奥深いものがある。というようなお話をいただきました。
私も、この1ヶ月の間に30代半ばの知人男性が突然死をするという出来事にでくわしました。亡くなった彼を公私にわたり全面的に面倒を見ていた上司の落胆は相当深いものがありました。というのも、その上司のすすめで4月に転職をした矢先の突然死だったのです。転職による環境変化がストレスになり突然死を招いたのではないかという、後悔をその上司は抱えてしまったようです。
が、詳しく状況を聞けば、転職により年俸もあがり、また転職と同時におつきあいしていた彼女と結婚もし、この2ヶ月彼は37年の人生の中で最高に幸せな日々を過ごしていたのだとわかりました。新婚生活の幸せと、新しい職場でも心機一転し充実した毎日でした。ストレスどころか、毎日が楽しく幸せでしかたないといった様子でした。
とはいえ、いくらそうであったとしても残された奥様やその上司にしてみれば後悔と無念しか残らないわけで、その落ち込みようは相当に深く、周囲がどんな声をかけても彼らの心の傷みはそう簡単に癒えるとは思えません。
そんなことで、私も毎日電話やメールで彼らを励ましていたのですが、その上司の方から不思議なことがあったと連絡がありました。
彼が亡くなりお葬式を終えて自宅に帰ってみると、古い知人から奈良の東大寺の大仏様と、薬師寺のお薬師様、そして法隆寺の金剛力士像の大きな写真が届いたというのです。
その古い友人とは年に1度、学会で顔を併せる程度の知り合いで、特に親しいというわけではなく、そのような写真をわざわざ送ってくれる謂れはないのに、と言っています。
ましてや、息子のように可愛がっていた部下を突然に亡くしたばかりだという事をその友人が知る由もありません。本当に、偶然のことだったようです。
その友人は写真が趣味で、大阪在住で奈良に勤務した期間が長く、趣味が高じて、今では各寺院から特別な許可を得て撮影をしているのだとかで、写真の出来映えもとても見事で、プロのカメラマンにも劣らない立派な作品をとっていらっしゃるようです。
私はそのお話を聞いて、ああこれは仏様のお計らいに違いないと感じました。
そして、亡くなった彼はきっと成仏できると確信できました。奈良の東大寺の大仏様や薬師寺のお薬師様のお力が、彼にもあるいは残されたご家族にも及び、きっとご遺族も立ち直ることができると思えました。
昨日は護国寺を後にして、私は亡くなった彼の奥さまをお見舞いがてら訪ねました。
死後の手続きの煩雑さにまいっているのではないかと思い、彼女の好きな紅茶をお土産に訪ねましたが、やはり疲れと緊張からか、能面のような顔つきのままで私の到着を待ってくれていました。が、1時間ほど二人きりで話すうちに少しずつ彼女に表情も戻り、気持ちも落ち着き、彼女本来の明るさも垣間見えるようになりました。
何か資格を取るための勉強をする決心を固めているようで、彼の分まで一生懸命生きるのだと話してくれました。
きっと彼女の心にも大仏様の慈悲が届いたのだろうとそんな感想をもちながら、彼女と別れました。
そのようなことで、私も不思議な仏縁を感じる日々でした。
来月は護国寺定例参拝の後、講話会、そして懇親会を予定しておりますので、お一人でも多くのご参加をお待ち申し上げます。
今月も良いお参りをさせていただきましたこと、心より感謝申し上げます。
(中塚)
梅雨の最中、釉薬のような白灰色の雲がたれ込めた空が広がる午後、雨は雲に留まったまま地上に落ちることはないものの、気温が15度前後と梅雨寒の中の参拝となりました。
参拝者の増加にともなってか、最近は護国寺本堂の堂守りの僧侶の方も2名体制となっているようです。また、私どもが読経をしている際にも、見ず知らずの参拝者の方が一緒に手を合わせてくださる事もしばしばあり、さざ波のように静かにけれど確実に仏縁が広がっていることを実感します。
いつもの通り高原講元のご指導のもと読経を行い、その後今回は角田さんより蜜厳流のご詠歌の同行和讃をご披露いただきました。角田さんは今年の4月に成田山で行われた蜜厳流のご詠歌の全国大会に高尾山のご詠歌のメンバーとして参加されたそうで、しみじみとした情緒にあふれたご詠歌をお聞かせくださいました。
参拝を終えゴミ拾いをした後、ジョナサンで談話となりました。講元からは、行をしない「解説者」が語る仏教と、実際に行を行う「実践者」が語る仏教とは、同じ仏典を語るにしても全くの別物である。また、お釈迦様にしてもお大師様にしてもあるいは他の高祖や高僧にしても、みな実践者であったわけで、そこには、とうてい計り知れない奥深いものがある。というようなお話をいただきました。
私も、この1ヶ月の間に30代半ばの知人男性が突然死をするという出来事にでくわしました。亡くなった彼を公私にわたり全面的に面倒を見ていた上司の落胆は相当深いものがありました。というのも、その上司のすすめで4月に転職をした矢先の突然死だったのです。転職による環境変化がストレスになり突然死を招いたのではないかという、後悔をその上司は抱えてしまったようです。
が、詳しく状況を聞けば、転職により年俸もあがり、また転職と同時におつきあいしていた彼女と結婚もし、この2ヶ月彼は37年の人生の中で最高に幸せな日々を過ごしていたのだとわかりました。新婚生活の幸せと、新しい職場でも心機一転し充実した毎日でした。ストレスどころか、毎日が楽しく幸せでしかたないといった様子でした。
とはいえ、いくらそうであったとしても残された奥様やその上司にしてみれば後悔と無念しか残らないわけで、その落ち込みようは相当に深く、周囲がどんな声をかけても彼らの心の傷みはそう簡単に癒えるとは思えません。
そんなことで、私も毎日電話やメールで彼らを励ましていたのですが、その上司の方から不思議なことがあったと連絡がありました。
彼が亡くなりお葬式を終えて自宅に帰ってみると、古い知人から奈良の東大寺の大仏様と、薬師寺のお薬師様、そして法隆寺の金剛力士像の大きな写真が届いたというのです。
その古い友人とは年に1度、学会で顔を併せる程度の知り合いで、特に親しいというわけではなく、そのような写真をわざわざ送ってくれる謂れはないのに、と言っています。
ましてや、息子のように可愛がっていた部下を突然に亡くしたばかりだという事をその友人が知る由もありません。本当に、偶然のことだったようです。
その友人は写真が趣味で、大阪在住で奈良に勤務した期間が長く、趣味が高じて、今では各寺院から特別な許可を得て撮影をしているのだとかで、写真の出来映えもとても見事で、プロのカメラマンにも劣らない立派な作品をとっていらっしゃるようです。
私はそのお話を聞いて、ああこれは仏様のお計らいに違いないと感じました。
そして、亡くなった彼はきっと成仏できると確信できました。奈良の東大寺の大仏様や薬師寺のお薬師様のお力が、彼にもあるいは残されたご家族にも及び、きっとご遺族も立ち直ることができると思えました。
昨日は護国寺を後にして、私は亡くなった彼の奥さまをお見舞いがてら訪ねました。
死後の手続きの煩雑さにまいっているのではないかと思い、彼女の好きな紅茶をお土産に訪ねましたが、やはり疲れと緊張からか、能面のような顔つきのままで私の到着を待ってくれていました。が、1時間ほど二人きりで話すうちに少しずつ彼女に表情も戻り、気持ちも落ち着き、彼女本来の明るさも垣間見えるようになりました。
何か資格を取るための勉強をする決心を固めているようで、彼の分まで一生懸命生きるのだと話してくれました。
きっと彼女の心にも大仏様の慈悲が届いたのだろうとそんな感想をもちながら、彼女と別れました。
そのようなことで、私も不思議な仏縁を感じる日々でした。
来月は護国寺定例参拝の後、講話会、そして懇親会を予定しておりますので、お一人でも多くのご参加をお待ち申し上げます。
今月も良いお参りをさせていただきましたこと、心より感謝申し上げます。
(中塚)