四国88カ所お遍路の旅 ( 平成27年4月結願)その一
平成26年4月末、徳島空港に降り立つと、朝の爽やかな空気が頬をなぜた。今日から、お大師様の足跡をたどり、お遍路が始まる。
四国お遍路の様子がテレビに映る度に、行ってみたいと思った。その思いは、年を重ねるにつれ、深くなった。平成26年は、「四国開創1200年」記念の年。この言葉も、行きたい気持ちを強く押した。「まずは出かけよう」と、たまたま新聞で見た「お遍路ツアー」に思い切って申し込む。歩き遍路でなく、簡便な飛行機とバス利用のお遍路旅ではあったが。
四国遍路の振り出しは、阿波の国・徳島県。県下には、第一番札所、霊山寺から、第23番札所薬王寺まで、23の霊場があり「発心」の道場と呼ばれている。まず一番札所の、「霊山寺」へバスで向かう。私たちを導いて下さる先導師は、既に50回以上お遍路を達成しているベテランの方。
鳴門市の西はずれ、自然豊かな風景の中に寺は佇んでいた。一番札所であり、季節も良いので、参拝の方が多い。参道は左側通行が原則という。仏様が山門まで迎えに来て下さっていると感じ山門で合掌・一礼。かなり大きな多宝堂が直ぐに目に入る。手水場で手と口を清め、ろうそく、お線香を立てる。その後、ご住職より、十善戒が授けられる。ご住職は女性で穏やかな語り口であった。
境内は明るい。木々は初夏の光に輝いている。数多のお遍路さんが、ここに立ったであろうと思うと、喜びが涌いてくる。本堂、太子堂では納め札を納める。納め札は、あらかじめ、住所、氏名、年齢、年月日、裏には願い事を事前に記入し、持ってきている。本堂のお賽銭箱の脇に、納め札を入れる箱と、写経を入れる箱があった。本堂、太子堂で合掌、礼拝し、納経する。
空の下での、納経は、木々も風も、お堂も、そして一緒に納経している仲間も皆一つの宇宙になっている。お参りをすませた後は、納経所で、ご朱印帳にご朱印を頂く。(ツアーは、添乗員が参加者分を纏めて、御朱印を頂く)。
ここは一番札所なので、納経所の隣りの売店で様々な用品が売られており、お遍路支度は一通り整えることが出来る。一日目は一番札所から10番札所まで、休む暇なく順拝して、読経する。バスで一緒の、それまで見ず知らずだった人同士の唱和する声は、綺麗に揃ってくる。声が揃ってくると同時に、お寺を巡る同じ行いが、お互いの気持ちを近づけていく。
「一番札所に着いたとき、涙が溢れてきました」そう話すのは、3月にご主人を亡くされたばかりの方で、「主人の供養が出来て嬉しい」といわれる。一通りその話をしてからは、少し元気を取り戻したようで、笑顔まで見せるようになった。又足が不自由な年配の方が参加されていた。お寺はどこも、階段が多い。何時も、一番後になる。「もう少し筋力を鍛えてからと思っていたけど、みんな親切なので来て良かった」といった方も、昨年の12月に、ご主人を亡くされている。「思い立ったら吉日」私はそう心で思い、足が不自由なのに関わらず一人で参加して、愚痴も言わない彼女に感心していた。最高齢の方は、88歳。婿と孫娘に支えられながらも、石段を往復し、疲れた顔を見せない。(バスを降りてからお寺まで長い上り坂を歩く時は、さすがにタクシーに乗っておられた)
この日は朝早い飛行機と、慣れない場所での移動でかなり疲れ、夕食が待たれた。
夕食の前には、「一滴の水にも、天地の恵みを感じ、一粒の米にも、万民の労苦を思いありがたく頂きます。」と唱和。皆で感謝し、今日の順拝を終えた。(続く)
K&K.S
平成26年4月末、徳島空港に降り立つと、朝の爽やかな空気が頬をなぜた。今日から、お大師様の足跡をたどり、お遍路が始まる。
四国お遍路の様子がテレビに映る度に、行ってみたいと思った。その思いは、年を重ねるにつれ、深くなった。平成26年は、「四国開創1200年」記念の年。この言葉も、行きたい気持ちを強く押した。「まずは出かけよう」と、たまたま新聞で見た「お遍路ツアー」に思い切って申し込む。歩き遍路でなく、簡便な飛行機とバス利用のお遍路旅ではあったが。
四国遍路の振り出しは、阿波の国・徳島県。県下には、第一番札所、霊山寺から、第23番札所薬王寺まで、23の霊場があり「発心」の道場と呼ばれている。まず一番札所の、「霊山寺」へバスで向かう。私たちを導いて下さる先導師は、既に50回以上お遍路を達成しているベテランの方。
鳴門市の西はずれ、自然豊かな風景の中に寺は佇んでいた。一番札所であり、季節も良いので、参拝の方が多い。参道は左側通行が原則という。仏様が山門まで迎えに来て下さっていると感じ山門で合掌・一礼。かなり大きな多宝堂が直ぐに目に入る。手水場で手と口を清め、ろうそく、お線香を立てる。その後、ご住職より、十善戒が授けられる。ご住職は女性で穏やかな語り口であった。
境内は明るい。木々は初夏の光に輝いている。数多のお遍路さんが、ここに立ったであろうと思うと、喜びが涌いてくる。本堂、太子堂では納め札を納める。納め札は、あらかじめ、住所、氏名、年齢、年月日、裏には願い事を事前に記入し、持ってきている。本堂のお賽銭箱の脇に、納め札を入れる箱と、写経を入れる箱があった。本堂、太子堂で合掌、礼拝し、納経する。
空の下での、納経は、木々も風も、お堂も、そして一緒に納経している仲間も皆一つの宇宙になっている。お参りをすませた後は、納経所で、ご朱印帳にご朱印を頂く。(ツアーは、添乗員が参加者分を纏めて、御朱印を頂く)。
ここは一番札所なので、納経所の隣りの売店で様々な用品が売られており、お遍路支度は一通り整えることが出来る。一日目は一番札所から10番札所まで、休む暇なく順拝して、読経する。バスで一緒の、それまで見ず知らずだった人同士の唱和する声は、綺麗に揃ってくる。声が揃ってくると同時に、お寺を巡る同じ行いが、お互いの気持ちを近づけていく。
「一番札所に着いたとき、涙が溢れてきました」そう話すのは、3月にご主人を亡くされたばかりの方で、「主人の供養が出来て嬉しい」といわれる。一通りその話をしてからは、少し元気を取り戻したようで、笑顔まで見せるようになった。又足が不自由な年配の方が参加されていた。お寺はどこも、階段が多い。何時も、一番後になる。「もう少し筋力を鍛えてからと思っていたけど、みんな親切なので来て良かった」といった方も、昨年の12月に、ご主人を亡くされている。「思い立ったら吉日」私はそう心で思い、足が不自由なのに関わらず一人で参加して、愚痴も言わない彼女に感心していた。最高齢の方は、88歳。婿と孫娘に支えられながらも、石段を往復し、疲れた顔を見せない。(バスを降りてからお寺まで長い上り坂を歩く時は、さすがにタクシーに乗っておられた)
この日は朝早い飛行機と、慣れない場所での移動でかなり疲れ、夕食が待たれた。
夕食の前には、「一滴の水にも、天地の恵みを感じ、一粒の米にも、万民の労苦を思いありがたく頂きます。」と唱和。皆で感謝し、今日の順拝を終えた。(続く)
K&K.S