次に成仏の正因を申し上げる。
念仏宗のほうでは、念仏正因・信心正因ということがある。浄土宗ならば念仏正因で南無阿弥陀仏と唱える、その功徳によって浄土往生する、というので即ち念仏が往生の正因となるというのである。真宗のほうでは信心正因で阿弥陀仏の他力の本願を信ずる、信ずる一念さえ起こったならばその時に往生浄土が決定する。その後に南無阿弥陀仏と唱えるのは仏恩報謝の念仏であるという。これは念仏の力で往生するのではない、信心の力で往生するのであるから信心往生である。
わが真言宗では成仏の正因ということについて書物の上ではあまり見当たらなが先輩の御説をうかがったことがある。宿殖正因、偶遇正因、菩提心正因、信心正因、口唱正因、三密正因といろいろあります。このうち宿殖正因というのは宿殖善根の勝れたものでなければ真言密教に結縁することはできない、過去世の宿善の功徳によって今生に成仏することができるのであるから宿殖善根が成仏の正因であるとするもの。偶遇正因というのはおよそ宿殖深厚のものにあらざれば真言密教にあうこができない、遇うたら必ず成仏できる。青竜和上の「冒地の得難きにあらず、この法に遇うことの易からざるなり」とあり、この真言密教の法にあうことがむつかしい、遇えばやすやすと成仏できる、という意である。次に菩提心正因という説、これが最もよろしい。大日経に「菩提心とを因とす」とあり、大日経疏には「菩提心とはこれ如来の正因なり」といい、金剛頂略出経にも「菩提心は大悲より起こる、成仏の正因智慧の根本たり」とありますから正因を論ずるには菩提心を正因と定めるのが経論の証拠もあり一番良いと思う。信心正因という説もあるが大日経疏に「菩提心とは白浄信心これなり」とあるから、信心は直ちに菩提心ということができるので信心正因と菩提心正因とはおなじこととなる。また口唱正因という説もあり、安心和讃に「口唱の功力を因として」とあるが間違いではないが経論に根拠はない。三密正因という説、これも義においては正しいが即身義にも「三密の金剛を増上縁として能く毘盧遮那三身の果位を證す」とあり、三密行は成仏に対する増上縁である。菩提心が因であるから三密行は縁となる。口唱念仏の口唱は三密の中の語密であるから縁というべきであって正因ではないのである。
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