今日は孝謙天皇が西大寺造立と四天王像造立を発願された日
天平宝字八年764九月十一日、藤原仲麻呂の乱鎮圧祈願のため孝謙天皇が四天王像造立を発願。「西大寺資材流記帖」に「縁起坊地第一
夫れ西大寺は平城宮御守
寶字称徳 孝謙皇帝 去る天平寶字八年九月十一日 誓願す 将に敬造七尺金銅四王像 並びにかの寺を建つことを。・・」
天平宝字二年(758)孝謙天皇は譲位し、淳仁天皇が即位。淳仁天皇を擁立したのは藤原仲麻呂であり、淳仁天皇はいわば藤原氏の傀儡であった。朝廷内にはこう した藤原氏の再台頭を 倦厭する皇族・貴族が少なからずいた。これら勢力が結果として孝謙太上天皇派の勢力を押し上げ、藤原氏勢力は追 い詰められる。そこで恵美押勝(藤原仲麻呂)はこの形勢を一挙に逆転すべく天平宝字八年(764)9月ついに挙兵する。
しかしこの押勝の動きを早くから察知していた孝謙太上天皇側は直ちに軍を動かし、わずか8日間という短期間で鎮 圧。結果、恵美押勝(藤原仲麻呂)は近江で敗死する。 この孝謙太上天皇軍を指揮したのは、遣唐使として唐に留学し兵法に通じ、孝謙太上天皇の阿倍内親王時代に教師を 務めた吉備真備であった。
孝謙太上天皇はこの戦いに臨み、勝利を祈願して金銅の四天王像とその寺院の建立を発願したが、結果は願い通り勝 利し西大寺建立は実現することとなった。
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