福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

祈りと日本

2019-11-02 | 先祖供養
「日本は天皇の祈りに守られている」という記事がありました。
「天皇とは祈りである」との記事もありました。

天皇は日本人の代表ですから、「天皇陛下が祈りの存在」であるなら、「日本人も祈りの存在」であるはずです。そして古来日本人は祈る民族であったはずです。これは民俗学の常識です(注1)。しかし
いまや天皇陛下のみに祈りをおまかせして(しかも神様にだけの祈り)日本人は明治維新以来(戦争時を除外し)基本的には「パンとサーカス」「喰えマラ教(注2)」にうつつを抜かしています。様々な災いがこれでもかこれでもかと次々に降りかかってきているのはそのためでしょう。神仏に祈り、先祖に祈る本来の日本人の生活を一刻も早く取り戻す必要があります。

注1)
例えば先祖供養は日本人の精神基盤をなしていました。

(注2)梅原猛は「講座・文明と環境・宗教を忘れた文明」の中で「芥川のくえまら教」と題して「日本人の多くは宗教というものにはあまり関心がない。・・これを一番最初に洞察したのは芥川龍之介である。芥川が亡くなる前に「河童」という本を書いた。・・この河童の世界は現代世界の風刺画である。・・河童の世界で一番盛んなのは近代教である。近代教は生活教ともいう。生活教とはなにか?それは「くえまら教」だという。「くえまら教」とはおいしいものを食ってよくセックスする、それが近代教であるという。
・・これは芥川が書いたじつに見事な近代日本の戯画だとおもう。その芥川の時代から今日までこの近代教はますますさかんになってきた。」と書いています。
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