第二十四番 しらきやま光智山法泉寺。御堂三間四面南向。
本尊聖觀音 立像御長七寸一分(約70㎝) 作者不知
原夫當山は、毘盧遮那の佛勅に依て、加賀の白山を勸請せしとぞ。本尊も彼山より現來し給へり。熟其來由を尋に、越の大徳泰澄常に加賀の白山に詣ん事を欲し給へど、未時至らずや有けん、彼此と障る事有て志願をとげ給はず。然るに霊亀二年(716)天女現て、明年加州白山の岑に至るべしと告させ給ふ。大徳志願満足せん事を悦び、翌年養老乙己(717)の夏四月朔日、彼の山の絶頂に至り給へば、天女再來現し給ひ、吾は是日本男女の元神伊弉冊尊也、吾今は妙理菩薩(白山妙理権現のこと)と號す、是より第八年に至て時の天子大に佛乗を弘め ん、此法吾國に流布せん事渡に舟を得たるが如く、暗に燈を得たるが如し、汝是より東南奥羽信越の諸國に佛法を弘通すべし、尚吾が本體は此山の天嶺に於て現ずべしと、忽御姿は隠れさせ給ひぬ。大徳則天嶺に至て一つの池有を見る。傍に於て静に念誦し給ふ處に、池の中浪たちて風起り、九頭の大龍現ず 大徳思へらく是必ず神の本體にあらじと、泰然として居給へば、大龍則水底に隠れ、忽觀世音の妙相光明を放て現じ給ふ。大徳是こそ誠に神體にてましませと拜し給へば、善哉大徳われ毘盧遮那佛の佛勅に依て、是より東方武蔵の秩父に垂跡せり、汝彼地に至て佛法弘通すべしと、光をはなちて飛去給ふ。泰澄御跡をしたい、此處に來るに及で本尊小身を現じ、此處の岩の上に降り給ふ。さては此地有縁の霊場なりとて、則霊像を此處に止め奉り、山の名も白山と改め、妙理権現を祭て奥の院とし給ふ。當寺本尊を世俗天照太神の御作と云も、一向據なきに非、天照太神は日神にて坐す、佛家日輪を以て毘盧遮那とす、本尊は遮那教主の勅に依て此地に現じ給へば、是に依てしか云ならん。詠歌に曰、
「天照す 神の母祖の色かへて 尚もふりぬる雪の白山」
歌の意は、越の白山にて伊弉冊の尊現じ給ひし事を讀り。神の母祖の色かかへてとは、日神の御母神今は妙理大菩薩と現じ給ふを讀り。尚もふりぬるとは、年経たる山也と云事をふりぬると云て、雪の白山とつつ゛けたり。當所の本縁をよく讀をほせたる意味深き詠也。白山に於て九頭の龍と現じ給ひしは、九頭龍は補陀落山の形にして千手観音の根本印也。此故なるべし。