今日、石巻の泥掻ボランテアからかえってきました。今後のため簡単に記録に残しておきたいと思います。
1、 まず動機です。
3月11日の東日本大震災の発災と共にその惨状をテレビで見るにつけて、今回はなんとしても現地でボランテアをしたいという気持ちが強く起きました。阪神淡路大震災のときは現役でもあり仕事上では被災地に貢献できたのですが自身はついに現地にいけずじまいだったのでずっと悔いが残りました。今回はこのときのことを思い出し、是非いきたいとおもっていたのですがしばらくは義捐金以外は貢献するすべの無い状態でした。しかし最近になり県外のボランテアも受け入れる被災地ができ、一般ボランテアを受け付けるNPOもあらわれたので某NPOに登録しました。この時すでに「今回は締め切りです」といわれたのですが無理にお願いして登録にこぎつけたのです。この団体では六月まで定員オーバーで断っている状態だそうです。あと2ヶ月も待つところでした。
(後で分かったのですが、石巻の場合は個々に車等で石巻専修大学にある現地ボランテアセンターに行き、指示を受ければそのまま活動はできるのでした。ただし入念な準備は必要ですが。また今回は、僧侶として、犠牲になった方々の供養をしたいとおもっていたのですがセンターに電話してみると特に要望もないようでしたので今回は作業員の一人として参加することしたものです。)
2、 事前説明会
12日夜、NPOの事前説明会に出席しました。100人以上居ました。若い男女ばかりで比率はほぼ半々です。スケジュール、現地の状況、ボランテアの心得、準備品など説明を受けた後、活動単位の5人ずつのグループに分かれてそれぞれ自己紹介の後リーダーを決めました。じゃんけんで負けた若い人がリーダーになってくれました。若い男性ばかりのグループでした。いずれも物静かなほとんど必要なこと意外は話をしない、しかし芯は強そうな若者ばかりです。15日出発、16,17日作業、17日夜帰京と云うスケジュールですがこの後初対面同士のこのグループが終始一緒の行動することになりました。非常に気持ちの良いメンバーでした。
3、 準備品
今回は泥掻作業が中心なので頭からつま先までヘドロでどろどろになる覚悟が必要でした。泥の中にはガラス、釘などの危険物が必ずあります。耐油性手袋、ヘルメット、安全長靴、防水作業着、ゴーグル、防塵マスク等を揃えました。これらが本当に役立ちました。ヘドロの中はガラスだらけだったのです。また被災地に一切迷惑をかけない自己完結型ボランテアとしてキャンプ用品一式、水を4リットル用意しました。
4、ボランテア基地、石巻専修大学
4月16日朝早く、ボランテアの基地となっている石巻専修大学に着きました。途中町並みは特に変わったこともなくここが被災地かと信じられぬおもいがしましたが、自衛隊
車両と次々にすれ違ったり、野営テントの大展開をみるとはっとさせられます。石巻専修大学の広大なキャンパスは全国からの支援車とそのテントで埋まっていました。「がんばれ日本」「がんばれ東北」など思い思いのステッカーが貼ってあります。なかには岐阜ナンバーの「遍照金剛市民の会」なるステッカーの車もありました。あとで近ずいてみたのですが留守でした。
5、ボランテア作業
われわれは1週間の予定で来ている8人の若い外人ボランテアとともに石巻商工会議所近くの開業医のお宅の泥出しをさせていただくことになりました。この人たちはオーストラリア、アイルランド、カナダ等からきてそれぞれ東京や北海道などに滞在してて英語の教師などをしているそうです。吾々の何倍も長くボランテアをするというので恥ずかしい気持ちになります。また現場では危険な作業にも熱心に取り組み頭が下がりました。
開業医のおうちは病院と住宅双方の1階部分の2メートル弱まで浸水した跡がありました。ヘドロはトイレも含め総ての部屋に20センチくらいは溜まっていたでしょうか。猛烈な悪臭の中、スコップですくったヘドロを土嚢にいれ、道まで出します。ヘドロにはガラスがまざっていて危険なのでこれを探って掻き出して別のケースに入れます。こうしたことの繰り返しです。当然室内の備品もはこびだします。これもなかなか大変です。大きな待合ソファー、戸棚など無数にあります。しかし作業をしているとなにも考えません。大変ともおもいません。体も二十代のころのようになめらかに動きます。自分でも信じられないくらい敏捷に重い土嚢が次々と運べました。東京ではちょっとしたものを持つにもぎっくり腰を心配していたのがうそのようです。
しかし日本人は無言で黙々と働きます。一方外人部隊は陽気に話しながらやっています。時々使えそうなものをみつけては被災者の家族に捨てていいのか身振り手振りで確認しています。まじめです。
被災者の老先生夫婦とその嫁いだ娘夫婦も来ていてしきりとお礼をいわれたうえ、何回も差し入れをくださいました。老夫婦はショックの為か言葉数は少なかったですが、娘夫婦は外人部隊に笑顔で出身地を聞いたりしていました。記念写真までとってくれました。だれも住所は知らせてないので自分達で思い出すよすがにしていただけるのでしょう。有難いことです。ボランテア冥利に尽きます。ボランテア冥利といえば隣の中華料理店のおじさんは「ご苦労さん」といいながらミネラルウオーターを一箱差し入れしてくれました。通りを歩いているとすれ違う人は皆「ご苦労様」「ありがとうございます」と挨拶してくれます。うれしくなってこちらも挨拶を返します。しかしよくみると彼等の表情は硬いままです。疲労と緊張がただよっていてここは被災地なんだとあらためて感じさせられます。
こうして2日間の間にすっかり医院と住宅の泥だしは完了しました。やればできるものです。カナダから来たという女の子が手を掲げてきたので自然にハイタッチしてしまいました。年甲斐も無いことですが、ここでは年齢も性別も関係ないのです。
6、結論、
今回のボランテアでの結論は
①、 被災地は無限のボランテアを必要としているといいうことです。今回おじゃましたところもまだまだこれから気の遠くなるような作業が待っています。泥もまだ床にこびりついたままですし、外に出した廃棄物やヘドロの土嚢の除去、庭や敷地内の大型廃棄物の搬出など切がありません。ましてやボランテアの入れてない家も無数に残っているでしょう。ボランテアが行くと迷惑という記事もおおいのですが私は迷惑でもいいからいってみることが大切と思います。気持ちさえあれば必ず役に立てます。
②、 2つめは日本の若者が素直で思いやり深く育っているということです。ボランテア中の立ち居振る舞いもさわやかで、心の深いところから他者と一体となれる感性を有しているのが分かりました。いつのまに身に着けたのかうれしい驚きでした。
③、 一方中年以降の日本人は今回のボランテアにもほとんどおらず、魂の開発が遅れているようで恥ずかしい状態になっているように感じました。
④、 また今回も外国人の精神性の高さを思い知らされました。お遍路でも外人が多いのにびっくりしたのですがボランテアも外人がどんどん参加しているのに驚きと感動を覚えました。今回の被災に際しても日本人は精神性が高いなどと外国メヂアが報道しているなどといい気になっている日本メヂアがありますがトンでもありません。中年以降の日本人の精神性は目を覆うばかりの惨状です。今回の被災に対する日本人の対応次第では「日本は実は精神性の低い国だったのだ」と世界に露見してしまうことになりかねません。災害に精神性の低さが伴うと取り返しの付かないことになると背筋がぞっとしました。
⑤、 いずれにせよそれもこれもふくめてまず行動することが大切とあらためて感じたしだいです。行動すれば「下手な考え休むに似たり」と云うことわざが本当だったと分かります。ただ今回は偵察どまりのため大きなことは言えません。これからの準備の出発点としたいと考えております。