A師の話
2021-11-14 | 法話
詩篇42:6-11に「わたしはわが岩なる神に言う、『何ゆえわたしをお忘れになりましたか。何ゆえわたしは敵のしえたげによって/悲しみ歩くのですか』と。
わたしのあだは骨も砕けるばかりに/わたしをののしり、ひねもすわたしにむかって/『おまえの神はどこにいるのか』と言う。」とある。
人生は苦である。苦の最中ではこう思うことがある。「勝者には神佛がいても、敗者には神佛はいない。富者に神仏はいても、貧者にはいない。健康な者には神佛はいても、病者には神佛はいない。幸福な者には神佛はいても、不幸の者には神佛はいない。最も必要とされている者に神佛はいないのだ。」
しかし「本質」も「現象」も変わるもの、というのは現代物理学の初歩です。時が経つと共に「やはり神仏はおわした」と思える時が必ず来ます。「時間」が「神仏」なのです。「時間」を自分で切り取ってはなりません。