福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

A師の話

2021-11-14 | 法話

詩篇42:6-11に「わたしはわが岩なる神に言う、『何ゆえわたしをお忘れになりましたか。何ゆえわたしは敵のしえたげによって/悲しみ歩くのですか』と。
わたしのあだは骨も砕けるばかりに/わたしをののしり、ひねもすわたしにむかって/『おまえの神はどこにいるのか』と言う。」とある。

人生は苦である。苦の最中ではこう思うことがある。「勝者には神佛がいても、敗者には神佛はいない。富者に神仏はいても、貧者にはいない。健康な者には神佛はいても、病者には神佛はいない。幸福な者には神佛はいても、不幸の者には神佛はいない。最も必要とされている者に神佛はいないのだ。」

しかし「本質」も「現象」も変わるもの、というのは現代物理学の初歩です。時が経つと共に「やはり神仏はおわした」と思える時が必ず来ます。「時間」が「神仏」なのです。「時間」を自分で切り取ってはなりません。

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