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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

遺体発掘現場で消防士の方に「回向は届くのですか?」と聞かれました

2011-05-16 | Q&A
先日仙台の遺体発掘現場で消防士の方に「回向は届くのですか?」と聞かれました。

結論は「届く」です。このときは「仏様のお力で届けていただけます」とのみ答えましたが理論的に詰めておきます。

1、まず回向(廻向、供養)とはなにかです。
回向とは自己の善根を他の衆生や自分の悟りに向けて回向(廻向、供養)することです。回向(廻向)の意味と種類を慧遠(6世紀)の「大乗義章」ではこう書いています。「廻とは転なり。向とは趣なり。自の万行を転じて三所に趣向するが故に。一門に三を説く、一には菩提廻向(悟りに向かって回向するもの)、二には衆生廻向(自らの功徳を他者に転じてともに仏道に向かうもの)、三には実際廻向(実際(真理の世界)に向かうもの)。・・」。この菩提回向も衆生回向も実際回向もつまるところ同じです。回向はつきつめるとすべて自他平等に悟りの世界に向かわせる力をもっているということです。

2、次に回向が本当に他者に届くのかです。

仏教は理論的には自業自得の世界です。なのになぜ回向で他者を助けることが出来るのかということです。


理論的にはこのことについて「大乗義章」では「仏法は自業を他人受果することなく、他業を自己、受報する事無しといえども、彼我互いに助縁となること無きにあらず。相い助くるをもってのゆえに、己が善根を以って廻して以って廻して他に施す。回向をもっての故に未来世において常によく衆生を利益して捨てず、たすけて修善せしむ。・・・」といっています。これは自己の善根が増上縁(他の物事が生ずることを助ける働きをする縁)となり他人に利益を与えるといっているのです。



3月11日にもお大師様のお言葉をぶろぐに載せましたが、お大師様の性霊集巻七「知識の華厳会のための願文」に「・・・宝閣は信解の神変を構え、憧幡は菩提の勇健を表ず。六樂倶に陳べ、八韻(8種の楽音)共に奏す。男女花を為り(花を捧げて供養し)、人天香を献ず(法華経に「諸天竜神人及び香華伎楽をもって供養す」とある)。珍餞堂に満ち、つつしんで三尊に供ず。付して願わくはこの白業(善業)を以って、四恩を答し奉らむ。逝者は化して金剛の身となり(死者は金剛不壊の身となり)、留まる人は変じて如意の身たらむ。共に二利をまどかにして、同じく一道を証せむ。竪には五類(上界天、虚空天、地居天、遊虚空天、地下天)に及ぼし、横には四生(生きとし生けるもの)を沾(うるお)さむ。早く愛河をこえて速やかに智海に入らしめむ。」とあります。つまり供養(=回向)は死者に届き、永遠不滅の身を得さしめるとおしゃっているのです。



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