御即位灌頂 冨田斆純(11代豊山派管長)等より・・・8
第九章、仁王会
御即位灌頂は真言密教と皇室との密接なる関係を示したのであるが、御即位の大礼が終わると一代一度の大嘗祭がある。この大嘗会と並び行われたるのが大仁王会である。大嘗祭は天皇陛下自ら新穀を以て 天祖及び天神地祇を饗せらるるのであるが、大仁王会は百講座を設けて百法師をして、国土安穏天下泰平を祈祷せしむるのである。即ち大嘗会は一代一度の大神事であって、この大仁王会は一代一度の大仏事である。年々新嘗祭はあるがこの御即位の時行われる新嘗を大嘗といふがごとく、年々おこなふ仁王会は単に仁王会と称して、御即位後に行われる仁王会のみを大仁王会と称する訳となっている。大仁王会は仁王護国般若波羅密多経を講讃する法会で、此の経は仁君治国の要道を説いた経であるから、国家としては最も重んずべき経である。支那の随朝にすでに百講座を設けて講讃せられた例があり、新羅にもその例があるのであるが、わが朝では、斎明天皇の六年五月に、「奉勅、一百講座を造り、一百衲袈裟、仁王般若会を設く」とあるのがその始めである。持統天皇七年十月には諸国に令して仁王経を講ぜしめた。しかしてこの大仁王会が一代一度の大仏事となったのは、聖武天皇の天平元年八月である。その後、孝謙天皇の天平勝宝五年三月 東大寺に百高講を設けて仁王経を講ぜられたを始めとし、歴代の聖帝みなこの大仏事を修行せられたのである。平安朝に至りて光孝天皇の仁和元年四月大仁王会が行われたがその時は宮中全部を大道場として百講座を設け、また五畿七道の諸寺に勅して講座を設け、 朝夕二時に仁王般若を講ぜしめるのである。その時の呪願文は菅原道真の執筆で典雅壮麗を極めて大仁王会の功徳を讃嘆しておる。・・延喜式について説明すれば
「凡そ天皇の即位には仁王般若会を講説す、一代一講なり。一日朝哺二座講畢って、宮中諸殿省寮庁等、便に従って荘厳し百高座を設くる。或いは近宗諸寺及び畿内国分寺、或いは広く七州国分寺に及びこれを行ず・・・但し大極殿は佛座これ高御座を用ふ・・・」とある。しからば大極殿の高御座は昨は天皇陛下の天津日嗣の御座であったが、今は大仁王会の御本尊釈迦牟尼仏および仁王経所説の五大力吼明王の佛座である。・・この如く大仁王会は代々の洪範であったのが後には皇室の式微ともに大嘗祭ですら行わぬようになり、自然とこの大仁王会もおこなはれぬやうになり、諸寺に形式のみ存するやうになったのである。
第十章、密教の将来
今日この真言密教の阿闍梨が御即位式の前日宮中に請ぜられて天皇陛下に御即位灌頂の印明を奉ると仮定せよ、我が日本国の人心はいかにこの一時日について変動をきたすであろう。・・古義派では昔大嘗祭の後に行われた大元帥の御修法を修して宝祚長遠鎮護国家を祈っておる。新義両派は各本山において大仁王会を修して国土安穏聖寿無窮を祈っておる。(将来再び御即位灌頂の精神の実現せんことを願ふものである。)
第九章、仁王会
御即位灌頂は真言密教と皇室との密接なる関係を示したのであるが、御即位の大礼が終わると一代一度の大嘗祭がある。この大嘗会と並び行われたるのが大仁王会である。大嘗祭は天皇陛下自ら新穀を以て 天祖及び天神地祇を饗せらるるのであるが、大仁王会は百講座を設けて百法師をして、国土安穏天下泰平を祈祷せしむるのである。即ち大嘗会は一代一度の大神事であって、この大仁王会は一代一度の大仏事である。年々新嘗祭はあるがこの御即位の時行われる新嘗を大嘗といふがごとく、年々おこなふ仁王会は単に仁王会と称して、御即位後に行われる仁王会のみを大仁王会と称する訳となっている。大仁王会は仁王護国般若波羅密多経を講讃する法会で、此の経は仁君治国の要道を説いた経であるから、国家としては最も重んずべき経である。支那の随朝にすでに百講座を設けて講讃せられた例があり、新羅にもその例があるのであるが、わが朝では、斎明天皇の六年五月に、「奉勅、一百講座を造り、一百衲袈裟、仁王般若会を設く」とあるのがその始めである。持統天皇七年十月には諸国に令して仁王経を講ぜしめた。しかしてこの大仁王会が一代一度の大仏事となったのは、聖武天皇の天平元年八月である。その後、孝謙天皇の天平勝宝五年三月 東大寺に百高講を設けて仁王経を講ぜられたを始めとし、歴代の聖帝みなこの大仏事を修行せられたのである。平安朝に至りて光孝天皇の仁和元年四月大仁王会が行われたがその時は宮中全部を大道場として百講座を設け、また五畿七道の諸寺に勅して講座を設け、 朝夕二時に仁王般若を講ぜしめるのである。その時の呪願文は菅原道真の執筆で典雅壮麗を極めて大仁王会の功徳を讃嘆しておる。・・延喜式について説明すれば
「凡そ天皇の即位には仁王般若会を講説す、一代一講なり。一日朝哺二座講畢って、宮中諸殿省寮庁等、便に従って荘厳し百高座を設くる。或いは近宗諸寺及び畿内国分寺、或いは広く七州国分寺に及びこれを行ず・・・但し大極殿は佛座これ高御座を用ふ・・・」とある。しからば大極殿の高御座は昨は天皇陛下の天津日嗣の御座であったが、今は大仁王会の御本尊釈迦牟尼仏および仁王経所説の五大力吼明王の佛座である。・・この如く大仁王会は代々の洪範であったのが後には皇室の式微ともに大嘗祭ですら行わぬようになり、自然とこの大仁王会もおこなはれぬやうになり、諸寺に形式のみ存するやうになったのである。
第十章、密教の将来
今日この真言密教の阿闍梨が御即位式の前日宮中に請ぜられて天皇陛下に御即位灌頂の印明を奉ると仮定せよ、我が日本国の人心はいかにこの一時日について変動をきたすであろう。・・古義派では昔大嘗祭の後に行われた大元帥の御修法を修して宝祚長遠鎮護国家を祈っておる。新義両派は各本山において大仁王会を修して国土安穏聖寿無窮を祈っておる。(将来再び御即位灌頂の精神の実現せんことを願ふものである。)