福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんの「江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝記録第10回 」その2

2016-02-16 | 開催報告/巡礼記録
角田さんの「江戸三十三観音霊場・東京十社巡拝記録第10回 」その2

第二番参詣所 東京十社 赤坂氷川神社(東京都港区赤坂6-10-12)

御祭神 素盞鳴尊(すさのおのみこと)
    奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
    大己貴命(おおなむぢのみこと)=(大国主命・おおくにぬしのみこ
         と)

天歴5年(951年)村上天皇の御代に、武州豊島郡人次ヶ原(俗称・古呂故ヶ岡・赤坂四丁目一ッ木台地)に、祀られました。そして、100年後の治歴2年(1066年)、後冷泉天皇の御代に、関東地方に、大旱魃が発生したため、降雨を祈願したところ、その霊験(しるし)があり、以来よく祭事が執り行われました。

江戸時代には、徳川幕府の尊信は篤く、八代将軍吉宗は、享保元年(1716年)将軍職を継ぐにあたり、同14年(1729年)、老中岡崎城主・水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営、翌15年(1730年)4月26日に、一ッ木台地から、現在地への遷宮が行われ、28日には、将軍直々の参拝がありました。以後、14代家茂まで、歴代の朱印状が、下付され、鎮守神として、尊崇を深めてきました。大正時代以前は、山車13台(現在は9台)あり、御用祭が行われていました。

同神社の社殿は、本殿・幣殿・拝殿の三つの建物が、一体となった、権現造りの形式です。八代将軍吉宗は、「享保の改革」と呼ばれる、倹約政策をとっていたため、社殿造営にも、質実簡素な気風が見られます。通常は、将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を、何重にも重ねたり、彫刻や彩色などで、飾り立てたりするのですが、この社殿の組物は、簡素で彫刻も目立ちません。しかし、ただ、簡素なだけでなく、大きな雲形組物や吹き寄せ垂木など、軽快な意匠を取り入れる工夫も見られます。全体は朱漆塗としながらも、部分的に黒漆塗や黒色金具を用いることで、引き締まった印象になっています。(都文化財立て札より)

日枝神社のような豪壮・優美な社殿が並ぶ神域から、氷川神社に来ると、光景が一転、暗転したような感じを受けます。質実剛健を旨とする吉宗の精神が生きて受けつがれているのでしょう。門の内外に立つ二対四基の石灯籠が目だちます。門内の二基は、赤坂表伝馬町などの講中が享保9年(1724年)に奉納。氷川神社が吉宗の産土神として信仰され、現在の地に遷座したのは、同15年であり、それ以前は、古呂故ガ岡(現在の赤坂四丁目)にありました。社殿で特筆すべきは、昭和4年、遷座200年を記念して、長華崖が描いた格天井の花鳥図、宮部衆芳による、壁間の鳳凰の絵図が、壮麗な美しさで独特な雰囲気を醸し出していました。庭というか、神域というか広い空間には、天然記念物のイチヨウの巨樹があり、樹齢400年といいます。風雪に耐え抜いて生きている姿には、樹霊が、宿っていて、神霊を静かに発しているように見えます。厳かな気持ちに浸されます。そして、現社地は、忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人・瑤泉院の実家である浅野土佐守邸跡で、大石内蔵助が、討ち入り前に訪れて、別れを告げたといわれている忠臣蔵雪の別れの「南部坂」が近くにあります。

閑話休題 趣はすっかり異なるのですが、最近、私が視聴した映画のご紹介をしましょう。2009年、オーストリア・フランス・ドイツの合作映画で、オーストリア出身のジェシカ・ハウスナーという、女性監督の作品。「LOURDES」(邦題 ルルドの泉で)で、私は、フランス版で見た(字幕は、英語)ので、解読に誤りがあるかもしれませんが、お許しください。大筋は、はずしてないつもりです。

ご承知のように、ルルドというのは、フランスの南西部にある片田舎の巡礼地で、ここから湧き出る泉の水が、いかなる難病も癒す治癒効果があるといわれて多くの信者を集め、巡礼のメッカとなっているところです。1858年、町の郊外にあるマッサピエルの洞窟の近くに、聖母マリアが、顕現して、洞窟から、聖母マリアの言葉通りに泉が湧き出たといいます。その水は、いかなる難病をも癒すという奇跡を起こすことで、カトリック教会の中でも、指折りの巡礼地になっているところです。この聖地ルルドに集う巡礼者達と,そのなかの一人の体が不自由で車椅子と介護を受けなければ生活できない若い女性に起きた"奇跡"の出来事を描いたドラマです。

一体、奇跡というのは、現実の事実として起きるものなのか?という疑問が、いつも投げかけられるのですが、このルルドという町では、聖母マリアが現出し,奇跡の泉が聖母マリアの言う通りに、湧き出たことから全世界的に一躍有名なところになりました。主人公の体の不自由な若い女性、この役を、フランスの名女優・SYLVIE TESTUD(シルビー・テステュー)が演じています。熱心な信仰心の持ち主ではなさそうな、しかし、誠実で素直な性格で、精神的な美しさを漂わせてて、神秘的な印象すら見せる演技には、魅了させられます。何故、この映画を、ご紹介するかといいますと、今、私が遭遇している信仰の"迷路"を重ね合わせてみることからです。"奇跡"と"お蔭”の問題なのです。

この{LOURDES}で思い知らされるのは、人間である限り、世界中の誰でも、一分の例外なく、悩み・苦しみ・悲しみに悶え、癒しを求め、探しているという現実です。その解決を求めて、欧州人は、ルルドに向い、このため、ルルドは、巡礼地でありながら、観光地にもなり、今では、毎年、600万人の人出で賑わうそうです。車椅子の人、重病人の人、死期が迫った人、様々な人が、"奇跡"を求めて集まつてくるといいます。勿論、観光目当てだけの人たちも大勢いるでしょう。

また、巡礼の仕方が、参考になります。フアストシー-ンのオプニング。ダイニングルームに集まって食事をするのですが、マルタ騎士団の介護係の女性の赤と白のユニフオーム姿が、厳かな印象を与えます。体の不自由な人の介護に当たっています。食事が終わり、玄関口で、聖母マリアの立像に、祈りを捧げ、外出。途中の商店街には、カトリック信者の守り道具や土産物を売る店が立ち並んでいます。そのまえを、車椅子の人や、杖をつきながら歩く、数十人の団体行列が過ぎてゆきます。そして、この日の目的地である、マッサビエル洞窟に立つ聖母マリアの像に祈りを捧げ、洞窟の岩壁に、手を触れ、キスをして、奇跡を求めるお願いをします。このあと、希望者は、病院の診療室のような、カーテンで仕切られた、沐浴室に案内され、そこで、水道の蛇口から流れ出てくる"ルルドの霊水"を、頭からかけてもらいます。そこから出ると、明かりの灯った大きな蝋燭が林立した、礼拝所に、祈りを捧げ、宿舎に戻り、玄関ロビーで、神父の説教を聞きます。

二日目は、ルルドの大聖堂で、千人以上の人が集まり、荘厳厳粛な雰囲気の中で大規模なミサが行われます。大司教が、神の象徴である鏡の道具を捧げ持ち、奇跡を希う人たちにお払いをしてゆきます。そのあと、希望者は、黄金色に輝くキリストの殉教者が、様々なポーズで立ち並ぶ彫像が建てられている丘を巡り回り、神父の説教を聴きます。また、神父と1対1で対話も出来ます。また、別室で、奇跡に預かった体験者のビデオを見、このあと、再度、先述の沐浴室に入り、ルルドの神水を受けます。このときです、映画では、主演の主人公が、動かなかった手先が、少し動くようになったのです。件の岩窟の岩壁をなでに行くと、自分の手で、撫でられるようになりました。
彼女の不自由だった体が動いたことで、これが"奇跡”であるのかどうか認定を受けることになります。ルルド医務局というカトリック教会の医務局があり、医師によって"奇跡”かどうか、認定を受けるようです。再発の可能性の有無、現在までの公式な発表によりますと、説明不可能な治癒2500件中、奇跡と認定された症例は67件だそうです。身体の条件ばかりでなく、信仰心の度合いや人格の点検まで綿密に行われるそうです。映画の主人公は、奇跡認定が行われないままで、巡礼ツアーの最終パーティが開かれ、「ベスト巡礼賞」の記念品を受け、ダンスに興じたとき、突然倒れこみ、また、車椅子に頼ることで、ラストになりました。

映画のストーリーは、ドキュメンタリーや、"奇跡”を起こす主人公のドラマでもなく、ルルドに集まる人達の生活の様子を淡々と描いているものでした。しかし、人々が話す科白や、人間的な感情、神父の会話などに、さりげなく、刷り込まれた「宗教」の本質を垣間見せる所は、秀逸だと思いました。神様は、全能なのか。神様は、何時、どんな時に、"奇跡"を起こすのか。"奇跡"は、滅多に起きない。"奇跡"を期待して巡礼者は、ルルドに来て、失望するだけなのに、何故、多くの人が、再び訪れるのか。

努力して、必死で神さまに、祈りお願いすれば、さらに、時間をかければ願いが叶うものなのか。神様の意図は、何処にあるのだろう。"奇跡”ということには、神さまの不条理が付きまとうのではないか。世の中には、不信仰者でも、神威が現れる人がいる。この映画の中で、こうした人間の切実な心理的感情や人の幸福を密かに妬み、羨む、心の闇をも、抉り出して映像化しています。

所詮、人間が生きること、人生というものは、正解のない、航路を歩むことかもしれない。が、偶然に、神様から、恩寵を受けるという期待を完全に抹殺することも出来ない存在でもあることを考えさせられました。こうして、この映画は、フランス・ヨーロッパの文化・価値概念から、考え、造られたものですが、翻って、私の、現在直面している、信仰の問題にも深くかかわりがあり、決して、他人事とは、思えない切実な印象を受けました。巡礼の仕方、西欧人の、所謂"お蔭”の求め方、"奇跡"を信じ、神様に祈願する執念など、「謎解き」のような作品でした。雑駁な文章ですみません。

映画といえば、黒澤明監督の「生きる」も昭和27年に、公開された作品ですが、「ルルド」とは、対極的な作品で、今日的な問題提起をしていて、色あせない作品です。黒澤明、42歳の時の人生に対する深い洞察と、哲学によって人間が生きる意味を追求した秀作だと思います。ぜひ、ご覧ください。DVDで、最近、東宝から、廉価版(\1600^2000)で入手できます。蛇足ですが、最近の映像修復技術は、眼を見張るほど高く、封切り映画のそのままのような画像で見やすく、役者のせりふも、スーパーインポーズが出て、見やすくなっています。
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