福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その80

2014-07-19 | 四国八十八所の霊験
56番から57番栄福寺までもすぐです。57番栄福寺は縁起によれば、嵯峨天皇の勅願により弘法大師の開創です。大師が瀬戸内海を巡錫し、内海の風波海難の平穏を祈って大護摩を修されていると、海上はたちまち穏やかになり、海中より阿弥陀如来を感得し、ご本尊として奉安したとのことです。
本堂向右手に回廊があり、大師堂、薬師堂など諸堂をコの字型に結んでいます。澄禅「四国遍路日記」には「八幡宮、本地弥勒(筆者の阿弥陀さまの間違い)、この山より見れば今治三万石を則下に見るなり。」とあります。江戸初期は山上の石清水八幡様が札所だったのです。今も小高い丘の上に石清水八幡社があり、栄福寺は麓にあります。

栄福寺本堂回廊には昭和八年に奉納されたと伝わる箱車と松葉杖がありました。当時十五歳の宮本武正さんは、巡拝中にこの地で歩けるようになり、感謝のあまりこの箱車を奉納したのです。朝日新聞の「ふらり巡礼」に当時の白川住職の話がでています。要約するとこうです。
「この箱車には昭和8年7月16日と書いてあります。高知県沖ノ島から当時15才の少年(宮本武正さん)がやってきました。この少年は箱車を犬にひかせていました。暑い最中、犬は境内の清水をみて突然走り出し、少年は投げ出されしたたかに体を打ちました。しかしその時のショックでそのまま立てるようになったのです。」白河住職の話は続きがあります。二回目のお蔭の話です。「昭和8年のこの霊験の話を聞きつけて、八幡浜の足の不自由な老女が昭和28年頃寺にきて(白川)住職らの世話をうけつつ参篭していました。ある夜住職と一緒に本堂でお勤めをすませて庫裏に帰る途中暗がりで廊下から転落してしまいました。足腰を強く打ち1週間ほど寝込みましたがそのあとこの老女は回復して何事もなかったかのように立って帰っていったということがありました」。

ふしぎなお蔭は続くものです。本堂でこの箱車の横に座ってお経をあげるとなにか感無量になりました。

18年12月14日の日経新聞に「西国三十三所巡礼記」という記事が載ったことがあります。ここでは明治の俳僧天田愚庵の日記を紹介しています。(結願の)「西国三十三番の華厳寺の内陣で一夜をすごした愚庵が明け方に人の気配で出てみると賽銭箱の前で男がうずくまって祈りをささげていた。愚庵をみるとかけより法衣のそでにすがり狂おしいまでに『車に乗れ』とかき口説いた。よくよく聞いてみると、永い間患っていた妻が観音様のおかげで本復、人力車を引く彼は一年間毎月の観音様の縁日に供養として巡礼者を乗せようと願を立てたのだという。」とありました。お蔭は厳然としてあるのです。

 このあと遍路路を歩きながら突然、「生きとし生けるものは儚く脆い存在ではあるがそれだけに本当に幸せになってほしい。」と言う感覚が心の中から突き上げてきました。なぜか涙がとまらなくなりました。四国の遍路路では感情が溢れて限りなく泣かされました。
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