「天地万物と和解せぬときは神は助けたくとも助けることができぬ」
以前四国遍路で77番道隆寺境内に思議な「7つ灯台のことば」という石碑を見つけました。ここには「天地一切のものと和解せよ、和解とは感謝なり、天地万物と和解せぬときは神は助けたくとも助けることができぬ・・・」と書かれています(注)。このことばは素晴らしい力を持っていると思います。何十年か前に数十年間の継母との確執の果てに一大危機が起こっていた時、叔母にこの言葉を教わったことがあります。そこで継母への恨みを隠して表面的に護国寺の一言地蔵様に継母の幸せを祈りました。何回か祈っていると継母の態度が急に変化し、一大危機が嘘のように消えていました。
「7つ灯台のことば」です。(注、後で調べると、これは生長の家の教えの様ですがお寺に生長の家の言葉が彫られているにびっくりです。しかしいいものはいいと思います。ネット調べると全文は以下のようなものでした。
「七つ灯台の言葉。
汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。汝が何物かに傷つけられたり、黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。われ嘗て神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。天地万物と和解せよとは、天地万物に感謝せよとの意味である。本当の和解は互いに怺え合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。感謝し合ったとき本当の和解が成立する。
神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ。皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物に感謝せよ。その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう。われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。われは此処に見よ、彼処に見よと云うが如くにはいないのである。だからわれは霊媒には憑らぬ。神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ。われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。」
(さらに言えば、天地一切のものと和解するということは一切に感謝することで、それは報恩行という現実の形にならなければ意味がない)