古来『仁王般若経』には・・・四種があることになっているけれども・・・いま羅什訳と称せらるるものにつきてその経の内容を概言すると、佛が王舎城の耆闍屈山に住せしとき、波斯匿等の十六大國王も来り会し、これ等の國王がいずれもいかにして自らの国土を護るべきかの念あることを察し、これらの國王のために護国の根本義をといたのがこの経である。・・それによると国土を擁護するといってもその国民の思想が健實であり、正純でなくては、その国土を正しく健やかに栄えしむることは出来ないといふ見地から、この経では、内的即ち精神的、もしくは主観的の護国と、外的即ち客観的護国との二つに分かち、本論六品のうち初めの三品は内的護国の趣旨を明かし、後三品は外的客観的護国の実情をといたものである。
おもふにこの内外二護の思想は『大智度論』などにある「浄佛国土」の思想に負ふところが多いらしい。すなはち「初めに身口意の三業を浄めて後、佛土を浄むとなす。自身浄ければまた他人を浄む。何をもってのゆえに、ただ一人のみ国土のなかに生するものにあらず。みな共に因縁を作せばなり。内法と外法とは因縁をなして、もしは善、もしは不善たり。多くの悪口業の故に地に荊棘を生じ、諂誑曲心のゆえに地は則ち高下ありて平かならず。慳貪多きがゆえに則ち水かれて調はず地に沙礫を生ず。上の諸悪を作さざるを故に、地は則ち平正にして多く珍宝を出だす。」等とある思想と全くその揆を一つにするといってよいのである。
この『仁王般若経』を貫く護国思想は・・その護国の法用を説くにあたっても「まさに百の仏像、百の菩薩像、百の羅漢像を請し、百比丘衆と七衆と四大衆と七衆と共に百法師を請して、般若波羅密を講ずるを聴くべし。百獅子吼の高座の前には百燈をともし、百和香を焼き、百種色華を用いて三宝を供養し、三衣什物を用いて法師を供養し、小飯中飯またまた時をもってせよ、大王よ、一日二時にこの経を講読せよ。汝が国土の中に百部の鬼神あり、この一一の部にまた百部ありて、この経を聞かんとねがふ。この諸の鬼神は汝が国土を護るべし。」といひこの鬼神の聞法を介してのみ初めて護国の成果を発揮しうることになっている。
おもふにこの内外二護の思想は『大智度論』などにある「浄佛国土」の思想に負ふところが多いらしい。すなはち「初めに身口意の三業を浄めて後、佛土を浄むとなす。自身浄ければまた他人を浄む。何をもってのゆえに、ただ一人のみ国土のなかに生するものにあらず。みな共に因縁を作せばなり。内法と外法とは因縁をなして、もしは善、もしは不善たり。多くの悪口業の故に地に荊棘を生じ、諂誑曲心のゆえに地は則ち高下ありて平かならず。慳貪多きがゆえに則ち水かれて調はず地に沙礫を生ず。上の諸悪を作さざるを故に、地は則ち平正にして多く珍宝を出だす。」等とある思想と全くその揆を一つにするといってよいのである。
この『仁王般若経』を貫く護国思想は・・その護国の法用を説くにあたっても「まさに百の仏像、百の菩薩像、百の羅漢像を請し、百比丘衆と七衆と四大衆と七衆と共に百法師を請して、般若波羅密を講ずるを聴くべし。百獅子吼の高座の前には百燈をともし、百和香を焼き、百種色華を用いて三宝を供養し、三衣什物を用いて法師を供養し、小飯中飯またまた時をもってせよ、大王よ、一日二時にこの経を講読せよ。汝が国土の中に百部の鬼神あり、この一一の部にまた百部ありて、この経を聞かんとねがふ。この諸の鬼神は汝が国土を護るべし。」といひこの鬼神の聞法を介してのみ初めて護国の成果を発揮しうることになっている。