福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

還暦求聞持成満の記 その43

2009-11-24 | 還暦求聞持成満の記
7月29日
大正大学の図書館でたまたま棚から取り出した本に大山公淳師の「密教観法の研究」がのっていました。むさぼるように読みました。「法身といえば宇宙霊性の絶対的権威である。時間空間を超越して久遠なる実在である。各個人の生活の奥底には必ずかかる実在的生命の躍動がある。これにむかってまっしぐらに進みさえすればよいのである。・・なにが人生最大の歓喜だといってもこの法身の実在を体得し我の全体が彼に生き、彼の全体が我に生き、彼此無二なるを得た位の歓喜は他にありうべきものではない。無限に伸びんとし、拡がらんとする吾人の生命も此の境地を得てはじめて満足を得べきのみである。しかして宇宙と永劫に活躍すべきのみ。かかる境地こそは密教にいわく第十識の生活なのであって吾人が密厳華厳の世界を開顕するはこの体験においてのみよく為しうるのであると信ずる。密教の観法はその新天地を得んことを目的としている。・・・修法のごときはその儀礼作法を実修するものであるとも考えられる。・・般若三蔵の訳出になる「摂真実経」では、わが身金剛薩たと観達して空間的には五方、時間的には三世の諸仏及びその眷属微塵数の菩薩、無数の天竜等が十方法界よりわが身にはいりそれらの諸聖衆の功徳を悉く円満することができる。・・・佛跋陀羅の「観佛三昧経」には・・世界のなかに充満してついに一切時のなかに恒に佛をみるにいたるを真の成就とす。」

行のまえにこれを読んだときには特に何も感じませんでしたが行のあといまになってこれを読み返すとこの深さにおどろかされました。
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