福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

密宗安心教示章(明治十七年三月二十一日仁和寺三十二世別所栄厳大和上示衆)其の三

2022-03-03 | 密宗安心教示章

第九 大日浄土章
大日如来の浄土は自性法界宮、密厳国土と称して十地等覚の菩薩も、大日如来の加持を離れては猶見聞の境界に非ずとす。然るを大日如来、實の如く自心を覚悟したまひて、本有荘厳の浄土を開顕し、十方諸仏と共に、真言加持の事業をなし、無余の衆生を済度したまふ。其神変不思議の境界を名つけて、自性法界宮と称し、又は、密厳国土と号するなり。是故に浄土において二あるに非ず。是大日如来一心法界本有荘厳の浄土にして安養都率を始め、あらゆる十方の浄土もみなこの密厳国土の中の一佛土にあらざるなし。是故に興教大師は「十方の浄土は一佛の化土にして一切如来は悉く是大日なり」と述べ給へり。されば下根劣慧の輩といへども、一真言に信決定するときは、十方の浄土いずれなりとも其願に任せて往生せんこと決定なり。又往生をだに遂ぐれば、浄土は穢土に異なりて、互いに往生すること無碍自在なれば、生生世世の父母、妻子眷属及び一切有縁の衆生と共に、微妙の説法を聴聞師、終に本具の覚體を開くことを得んは、是偏に真言不思議の教力に在ることぞと、深く信じて日々光明真言を念誦相続し、急ぎて浄土往生を願ふべきなり。

第十 三力具足章
真言陀羅尼蔵の中に、説きたまへるところの他力を云は、塵塵法法皆悉く六大所成なれば心佛衆生本来平等平等にして、更に差別あることなく、自心と衆生との三密も亦復平等平等にして
無碍ならずと云ことなし。故に瑜祇経には「常に一字を以って三業を斉運す」と説き給ひ、大王経には「以我功徳力、如来加持力、及以法界力」の三力を説きたまへり。是れ即ち
余経に超過せる三力具足の他力なり。されば我等凡夫が唱ふる一遍の真言も、自ら六大法界に遍じて、如来の語密と相応するが故に、上根勝慧の者は一生に即身成仏し、下根劣慧の者は順次に往生するを得ること、佛説祖説共に明白なり。又之を唱へて亡者のために廻向する時は、其亡者得脱し往生を遂るも、亦三力具足の加持に依らずと云ふことなし。是實に余教に於て説かざる所の他力なり。是の如き尊き密教なれば、値遇の因縁を深く歓び、真言念誦を励まして、余念なく往生浄土を願ふべき也。

第十一 上必兼下章
夫れ真言宗教は、法身如来自内証の法門なるが故に、其談ずる所、三平等を宗とし、三密を行とし、凡聖不二なるを安心とする。余教超過の深教なり。是故に若し人ありて、真言門に入て、如説に修業するときは、即身に成仏することを得と云旨、佛説祖訓共に明なり。然りと雖、三密双修すること能はざる劣慧の者は、一生に成仏することは難かるべし。されども経には「契経等の中に最も第一となす」と説き給ひ、又先徳も「最頂の教えは鈍根を摂する力あり」と述べ給へる如く、教法いよいよ高ければいよいよ卑き鈍根劣慧の輩を始め、四蔵の教薬に漏たる「唯除五逆誹謗正法」の悪人までも漏さず助け給ふ。是れ真言不思議の教力なり。今我等幸にかかる秘密最上の法門に遭ひ奉ることを得たり。若し此度之を信じ之を行ぜずんば所謂寶の山にはいりながら手を空しうして帰らんが如くなるべし。下根劣慧の我等が往生を遂げんことは、唯一真言のみにて決定なりと諦信すべし。此外に下根劣慧の分を忘れていと奥深き道理を求めなば、還て信心を乱し、往生をも取り失ふべし。努々過つことなく白浄信心相続いたすべきなり。(続)

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