前回の栂尾博士説の続です。・・
「孔雀経にもとずく護国思想
まず『孔雀経』のことから検討することとする。大師が『佛母明王経』というのはこの『孔雀経』のことで、これこの経を詳しくは『佛母大孔雀明王経』と称するがゆえである。
この『孔雀経』の内容としてはSvatiなる比丘が毒蛇に噛まれて地上に悶絶したる時、佛これを救護するために、大孔雀佛母大陀羅尼を説き、これを誦持することによりて、ただに蛇毒を治すのみでなくありとあらゆる災厄疾病等の一切の苦を除滅することができるとて、・・・陀羅尼明呪(注)を宣旨し、「若し大旱のときは願天降雨と云ふべし、若し大澇のときは願天誌止雨といふべし。若し兵戈、盗賊、疾病流行、飢饉、変異、及び余の厄難あらば、事に随って陳説して、一心に求請せよ、意に随はずといふことなし。」と註せられている。
さらに「・・・人もしこれを誦持せば如何なるものもこれを苦しめ、これを悩ますことができないとし、世界至る所に住在する諸天鬼神も、この陀羅尼を誦持する人を擁護し、その寿百歳なることができる」等とといてある。
これが何故に護国経典になるのかというと、大旱大澇、盗賊変乱等凡そ天下の一大事と目すべき災悪は悉くこれによりて除却し、國家を安穏に鎮護することができるとの思想にもとずくのである。・・・かかる低級信仰を浄化し、精神化するに正純密教をもってしたものが、不空訳の『大孔雀明王畫像壇場儀軌』である。この儀軌は一切を大日遍照の内容としてこれを生かしてこれを育てる正純密教の立場からこの呪力信仰としての『孔雀明王経』を再検討し、これに密教生命を付与したものである。従ってこの儀軌にはその劈頭において「諸の世間にあらゆる災禍逼悩、刀兵、飢饉、亢旱疾病、四百四病、憂悩闘諍及び八万四千の鬼魅ありて實相を嬈悩し、求むるところの世間出世間の勝願多く障碍あることは皆無始己来の貪愛無明、虚妄分別の三毒煩悩ありて實相を了ぜざるによる。」と説き、正純密教にもとずく内外一体、依正一如の實相を了せしむるためには、その實相世界を曼荼羅として表現し、孔雀明王といふもその實相世界の功徳相を示したものにすぎないことを体解し味得せしめねばならぬとの上より、この儀軌には孔雀明王の畫像壇場を施設することとしてあるのである。
(注、孔雀明王御真言は「おん まゆら きらんでぃ そわか」
孔雀明王陀羅尼は「のうもぼたや・のうもたらまや・のうもそうきゃ・たにやた ・ごごごごごご・のうがれいれい・だばれいれい・ごやごや ・びじややびじやや・とそとそ・ろーろ・ひいらめら ・ちりめら・いりみたり・ちりみたり・いずちりみたり ・だめ・そだめ・とそてい・くらべいら・さばら ・びばら・いちり・びちりりちり・びちり・のうもそとはぼたなん ・そくりきし・くどきやうか・のうもらかたん・ごらだら ・ばらしやとにば・さんまんていのう・なしやそにしやそ ・のうまくはたなん・そわか」)(続)
「孔雀経にもとずく護国思想
まず『孔雀経』のことから検討することとする。大師が『佛母明王経』というのはこの『孔雀経』のことで、これこの経を詳しくは『佛母大孔雀明王経』と称するがゆえである。
この『孔雀経』の内容としてはSvatiなる比丘が毒蛇に噛まれて地上に悶絶したる時、佛これを救護するために、大孔雀佛母大陀羅尼を説き、これを誦持することによりて、ただに蛇毒を治すのみでなくありとあらゆる災厄疾病等の一切の苦を除滅することができるとて、・・・陀羅尼明呪(注)を宣旨し、「若し大旱のときは願天降雨と云ふべし、若し大澇のときは願天誌止雨といふべし。若し兵戈、盗賊、疾病流行、飢饉、変異、及び余の厄難あらば、事に随って陳説して、一心に求請せよ、意に随はずといふことなし。」と註せられている。
さらに「・・・人もしこれを誦持せば如何なるものもこれを苦しめ、これを悩ますことができないとし、世界至る所に住在する諸天鬼神も、この陀羅尼を誦持する人を擁護し、その寿百歳なることができる」等とといてある。
これが何故に護国経典になるのかというと、大旱大澇、盗賊変乱等凡そ天下の一大事と目すべき災悪は悉くこれによりて除却し、國家を安穏に鎮護することができるとの思想にもとずくのである。・・・かかる低級信仰を浄化し、精神化するに正純密教をもってしたものが、不空訳の『大孔雀明王畫像壇場儀軌』である。この儀軌は一切を大日遍照の内容としてこれを生かしてこれを育てる正純密教の立場からこの呪力信仰としての『孔雀明王経』を再検討し、これに密教生命を付与したものである。従ってこの儀軌にはその劈頭において「諸の世間にあらゆる災禍逼悩、刀兵、飢饉、亢旱疾病、四百四病、憂悩闘諍及び八万四千の鬼魅ありて實相を嬈悩し、求むるところの世間出世間の勝願多く障碍あることは皆無始己来の貪愛無明、虚妄分別の三毒煩悩ありて實相を了ぜざるによる。」と説き、正純密教にもとずく内外一体、依正一如の實相を了せしむるためには、その實相世界を曼荼羅として表現し、孔雀明王といふもその實相世界の功徳相を示したものにすぎないことを体解し味得せしめねばならぬとの上より、この儀軌には孔雀明王の畫像壇場を施設することとしてあるのである。
(注、孔雀明王御真言は「おん まゆら きらんでぃ そわか」
孔雀明王陀羅尼は「のうもぼたや・のうもたらまや・のうもそうきゃ・たにやた ・ごごごごごご・のうがれいれい・だばれいれい・ごやごや ・びじややびじやや・とそとそ・ろーろ・ひいらめら ・ちりめら・いりみたり・ちりみたり・いずちりみたり ・だめ・そだめ・とそてい・くらべいら・さばら ・びばら・いちり・びちりりちり・びちり・のうもそとはぼたなん ・そくりきし・くどきやうか・のうもらかたん・ごらだら ・ばらしやとにば・さんまんていのう・なしやそにしやそ ・のうまくはたなん・そわか」)(続)