護国寺定例参拝記録
待ちに待った青葉・若葉の新緑の季節が巡ってきました。東京・文京の大本山護国寺は、先月は桜の花の乱舞で参詣者を楽しませてくれましたが、今回は緑のパステルカラーの競演で私たちのすさんだ心を慰めてくれるようでした。福聚講(高原耕曻講元)護国寺定例参拝は4月20日(土)午後3時、本堂で勤行が高原講元様の導師の下で行われました。
護国寺参拝で心和む情景があります。地下鉄の出入り口から護国寺の山門くぐり参道を渡り始めると、広い境内に木造のベンチが沢山置かれていて、高校生たちのグループが歓声を上げていたり、中年の二人ずれがお弁当を開いていたり、一人静かに読書に浸る老人がいたり、様々の人間模様が見られることです。気ままに時を過ごせる空間が作られていることです。本堂で礼拝することもさることながら、護国寺全景が仏さまを象り、仏さまの足元にあたるような自由空間があることも、護国寺の魅力のひとつではないか と思います。特にこの日は境内に植樹された木々の瑞々しい色美しく間違いなくこの生命の輪廻の循環を謳歌しているようでした。もう改めて仏さまに礼拝せずとも十分に仏さまの御加護を頂いているのではいかと思いました。高野山の僧侶の方に、護国寺はいつお参りしても何か特別にありがたい気配がしますがどうしてですか?と 尋ねられたことがあります。
本堂での私たちの勤行は月に一回ですが、参詣の人に邪魔にならないように注意していますが、後方で私たちの勤行に合わせご本尊様にお経をお唱えする人も多くなってきたように思います。そのうえ、本堂のお坊さんもさまざまにご配慮をしていただけるようになりました。有り難いことです。
さて、この日の勤行で御詠歌は「いろは和讃」をお唱えさせて頂きました。また思い切って、鈴鉦を使って詠唱しました。声だけの詠唱と鈴鉦を使っての御詠歌は大きな違いがあります。やはり、鈴鉦の音曲効果を発揮するのを念頭に御詠歌が作られていますので、鈴鉦を使って詠唱するのが本道であります。
御詠歌の詠題 「いろは御和讃」
霞にまごう櫻花 錦織りなすもみじばも
夜半の嵐にさそわれて 色はにほへど散りぬるを
流れ静かに行く水と 人の命の定めなく
呼べど帰らぬ鹿島だち 我が世誰ぞ常ならむ
黒白(あやめ)も分(わか)ぬ冥府の路 独りの旅と思いしに
大師の御手に導かれ 有為の奥山けふこえて
嬉しやこオこは密厳の 浄土なりけりあな貴(とう)と
諸仏菩薩に守られて あアさき夢みじゑひもせず
詠唱を終えてみて、まだ成長していないことが判りました。御詠歌で、重要な節回しである「イロ』「ツヤ」が、きちんと唱えられていない。このため仏さまの心になって詠唱出来るまでには達していないことが判ります。
今回も御詠歌についての講釈になってしまいました。
密厳流詠監 渡辺叡照僧正の一文をご紹介いたします。
「御詠歌をなさる皆さまも同じ気持ちと思いますが、唱えるたびに聞く人の心に安らぎを与えられるように、そして、自分自身が、心穏やかになれるように心がけています。その結果、人を思い遣れる心が芽生え人の心に沁みる御詠歌が唱えられるようになると信じております。」(遍照講々報。平成31年3月31日発行)