・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・20
第七章
第二節、 釈迦如来。釈迦如来は印度に生まれられ三十歳で成道せられて八十歳で御入滅になるまで顕教には華厳経・阿含経・方等経・般若経・法華経・涅槃経等を説かせられ、その奥座に秘密教の深義を含ませられた。我々が今日有難い仏教の教旨を聴くことが出来るのは即ちこの釈迦如来が出現せられて最極無上の教旨を開示せられたからである。この一点ですで . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・19
第七章、十三佛各説
十三佛を組織的に説いたのみでは各尊の本誓が分からぬから各尊についてここに再度説明する。
第一節、 不動明王。不動明王は胎蔵曼荼羅の持明院に在して、佛の教令即ち命令を衆生にいやでも応でも必ず服従せしむべき役目を持ってござる。その命令に服従せぬものは捕縛もしなければならぬは、仏教に摂受・折伏の二門ある中の折伏の仏であるか . . . 本文を読む
今日も天気予報は雨でしたが実際は曇り空でほとんど雨にもあわずお参りできました。
今日は18日でご本尊様の御開帳の日です。境内には五色の幡がはためいています。「幡(はた)」はサンスクリット語のパターカー(patākā)という言葉に由来し、仏や菩薩を荘厳・供養するために用いられるものです。また、『維摩経』によれば降魔の象徴とされ、幡を立てることで福徳を得て長寿や極楽往生につながるとされています。仏具 . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・18
この中で何故に我が国の八百万の神を外金剛部院として列せざるのであるやという疑問は屡々密教曼荼羅について遭遇する疑問である。わが国に密教の伝来したのは平安初期、このころは聖武帝以来の本地垂迹説が既に上下に信じられていた時代であったので、佛を拝すれば日本の神祇は全くその中にありとせられたる時代である。この十三佛曼荼羅の成立するころには全く佛の . . . 本文を読む
煩悩
心のけがれ
・・・貪り、瞋り、愚かさは熱のようなものである。どんな人もこの熱の一つでも持てば、いかに美しい広々とした部屋に身をよこたえても、その熱にうなされて、寝苦しい思いをしなければならない。
この三つの煩悩のない人は、寒い冬の夜、木の葉を敷物とした薄い寝床でも、快く眠ることができ、蒸し暑い夏の夜、とじこめられた狭苦しい部屋でも安らかに眠ることができる。
この三つは、この世の悲し . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・17
第三節、深秘三重流現門
胎蔵曼荼羅は大日経に説くところによれば左右二重、前が二重、後ろが三重である。然るに大日経疏の説に依れば左右前後三重となって所謂差別門三重流現の思想と転化している。その説に依ると「如来の加持を以ての故に佛菩提自証の徳より八葉胎蔵身を現し、金剛密印より第一重金剛手等の諸内眷属を現し、大智万行より第二重摩訶薩埵の諸内 . . . 本文を読む
不瞋恚について。
最近「瞋恚」をおこし破滅する例が頻発しています。瞋恚は身を滅ぼし世を乱す元です。古来数々の戒めの訓戒があります。
・「世を乱し身を亡すも 皆一朝のいかりなり。一切男女は過去の父母、一子の慈悲を運ぶべし」(十善戒和讃)
・以下釈雲照師の十善戒和讃略解です。「我等衆生無始劫より以来三界の苦海に沈淪して常に生老病死の為にせめらるるは、もと此貪瞋二種の所為に由らざるはなし。此貪瞋の煩悩は . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・16
第二節、横説平等囲繞門
古い十三佛曼荼羅に虚空蔵菩薩を中心としてその周囲に十三佛を囲繞せしめて一円相をなした図がある。これは胎蔵界中台八葉院に象ったもので中台八葉院は八尊すらなきに隅方の一尊を二尊として計十二尊を周囲に描いたのである。
弥勒 薬師 観音
地蔵 . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・15、
(以上のように)浅より深に進むのである。去りながら今まではバラバラに浅深を説いたのであるが、これを組織的に知らんと欲せば、発心・修行・菩提・涅槃の四転について説明せねばならない。
第一の不動明王は発心である。煩悩妄想を除いて各人が理想を認める境界である。
第二の釈迦如来より第十一の阿閦如来の十佛は是れ修行の位である。これらの十佛は十地十 . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・14、
諸佛曼荼羅の10
第十三虚空蔵菩薩が万徳円満の総徳である。(逆修日記には「三十三回忌、十二月十三日、虚空蔵菩薩種子タラク、礼三十五仏名経に曰く。虚空蔵をとなえる者は、四重五逆の罪悉く生滅し、三業の過皆除滅す。」とあり、印融の「諸尊表白集」では「夫れ虚空蔵菩薩といっぱ、三界能度の法王、十地究竟の大士なり。・・畢竟空のなかには不思議自在 . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・13、
諸佛曼荼羅の8
第十二の大日如来は証果の総徳で(逆修日記には「十三回忌、十一月二十八日、大日如来、金大日種子バーンク、胎大日種子アーンク、大日経に曰く。無量俱胝劫、造るところの衆罪業、この曼荼羅を見れば生滅して悉く余り無し」とあり、印融の「諸尊表白集」では「夫れ法身毘盧遮那仏といっぱ、体性常住にして無始無終なり。理智普遍にして不来不去也 . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・12、
諸佛曼荼羅の7
第十一、阿閦如来は発菩提心の徳である。(逆修日記には「七回忌、十一月十五日、阿閦如来種子カン、攝真実経に曰く。東方不動如来の三昧に入って、常にウン字を観ずべし。」とあり、印融の「諸尊表白集」では「夫れ阿閦如来といっぱ、五智の中には円鏡智を以て本とす。五部の中には金剛部を以て体とす。幢旗を建てて煩悩の怨敵を降し、威光を . . . 本文を読む