十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・11、
諸佛曼荼羅の6
・第八観世音菩薩、第九勢至菩薩、第十阿弥陀如来は弥陀の三尊帳で、観音勢至は阿弥陀如来の智慧の両徳ということになる。(
観音菩薩は、逆修日記には「百箇日、八月八日、平等王、本地観音種子サ、請観音経に曰く。衆生もしこの名を聞かば、垢を離れて解脱を得ん。あるいは諸の地獄に遊戯し、大悲代わって苦を受けん。」とあり、印融の「諸尊表 . . . 本文を読む
大日経住心品にある「菩提心を因と為し、大悲を根と為し、方便を究竟と為す」ということばのいみがどうしてもわからなかったのですが、最近わかった気がしてきました。今までは顕教の常識にとらわれてこうかんがえていたのです。即ち「大悲心を因とし、衆生を済度するのを方便とし、その結果菩提心という悟りへ到達する」と思いこんでいたのでわからなかったのです。密教ではこの関係が逆転するのでした。すなわち誰もが持つ . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・10、
諸佛曼荼羅の5
第五地蔵菩薩、第六弥勒菩薩、第七薬師菩薩は三方の別徳であるから七番目に薬師如来を置いたのは七佛薬師ということもできる。(
・地蔵菩薩は逆修日記では「五七日、五月二十四日、閻魔王、本地地蔵種子イ、地蔵本願経に曰く。現在未来天人衆、我今慇懃に汝に附属す。大神通方便力をもって諸々の悪趣に堕在せしむることなかれ。」とあり、印融の . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・9、
諸佛曼荼羅の4
・普賢菩薩は逆修日記では「四七日、四月十四日、宗帝王、本地普賢種子アン、華厳経に曰く。普賢の身相虚空の如く、身によって住す。国土に非ず。諸の衆生の心の欲するところに随って普身を現じて一切に等し。」とあり、印融の「諸尊表白集」では「・・・夫れ普賢菩薩といっぱ、十種の誓願人に随い、一子の慈悲物に周し。・・真如によって国土を等し . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・8、
諸佛曼荼羅の3
・文殊菩薩は逆修日記では「三七日、三月二十五日、五官王、本地文殊、種子マン、文殊問経に曰く。若し名字を称すること一日一夜すれば文殊必ず来る。若し宿障あらば夢中に見る事を得て、所求円満せん。」とあり、印融の「諸尊表白集」では「文殊菩薩といっぱ、三世諸仏の覚母、十方薩埵の智師なり、聖衆集会の場には、文殊を以て覚母とし、世尊説 . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・7
第六章、十三佛曼荼羅
十三佛曼荼羅は密教曼荼羅の最後の発達である。便宜のために三門に分かって説く。
第一縦説浅深差別門、第二横説囲繞平等門、第三三重流現深秘門。
第一縦説浅深差別門、これは十三仏を差別的に観察して浅より深に進み、不動明王より虚空蔵菩薩に至る浅深次第である。
是を図にすると以下の如くなる。
1、 不動明王・・・・・・・・・ . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・6
第五章、虚空蔵菩薩
金胎不二というが印度では別々であった。それが支那に来てはじめて相会し不空三蔵の偉大なる識見に依りて金胎は両部不二の深旨を発揮せられ、大師がこれに系統を立て組織せられるるときに、この両部不二の深旨は一段の発達を示し大いに幽邃深奥を極めたのいである。元来密教は極端な象徴主義であるから両部不二ということになれば両部不二の深旨 . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・5
「自己曼荼羅について」
大師の語に「夫れ仏法 遥かに非ず、心中にして則近し、真如外にあらず、身を捨てて何んか求めん」(「般若心経秘鍵」に「仏法遥かにあらず、心中にして即ち近し、真如外にあらず、身を捨ていずくんぞ求めん」とあり)とあるが、本尊を壇上に安置して之を崇拝し、曼荼羅を信仰の対象として外に荘厳する所以のものは、是れ自己に具有する無 . . . 本文を読む
・十三佛は金胎両部を合した究極の密教曼荼羅であること・・4
「十三という数について」
ここからは冨田斅純『十三佛講話』を中心に記述します。
「13という数は「胎蔵曼荼羅十三大院によりたるものである。密教の根本主義なるものは苟も宇宙に存在するものは、その存在の理由があるものである。存在する以上は宇宙の全存在に必要なものである。全存在に必要なものであればみだりにこれを捨つる理由はない。故に如何なる信 . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・3、
「十三佛の典拠と起源」
結論は経典に典拠はないが平安末期ごろから逆修の本尊として、追善供養としては鎌倉末期ごろ人々に深く信仰されてきたということです。(「十三佛の世界・ノンブル社」)。典拠がないので十三佛を軽く扱う傾向がありますが、現図曼荼羅の胎蔵曼荼羅自体も栂尾祥雲師によると必ずしも大日経に正確に依っているわけではないとされています . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・2
「十三佛の信仰」
終活がはやりですが肝心の「死後を仏さまに導いて頂く」という考えまでには最近は多くの人が至っていません。しかし先に述べたように昔の人は死後にはこの十三佛様が導いてくださると考えていました。今でも四十九日・一周忌・三回忌等は誰もが行いますが、これはこの十三佛信仰からきています。以前は葬儀や年忌法要ではご本尊として十三佛掛 . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・1
「十三佛とはなにか」
十三佛信仰は、いまも日本人の日常に、追善の仏事を通して馴染みが深い信仰です。
十三の仏・菩薩・明王が登場するこの信仰は、インドにおける輪廻思想と、中国の十王信仰を受け我が国で鎌倉期に十三仏信仰が確立したとされます。
十三佛信仰とは、当初は逆修として自己の死後の為に修せられてきたようですが、鎌倉時代以降、遺族が故人 . . . 本文を読む