のがちゃんとは今年の初めにネットで再会した。
小学校の3年生か4年生から中学校の3年生の途中まで一緒だった。
豊中市立東丘小学校と豊中市立第八中学校は、千里ニュータウンにある大きな学校だったが、
最近はニュータウンの老齢化と少子化が重なって、児童数が極端に少なくなってしまったが、
最近は多くの低層団地が高層団地に生まれ変わり、新しい居住者も増えて、児童数も増加に転じているようだ。
のがちゃんとMixiで再会して、メールのやり取りをしていたのだが、
実際には会えないでいた。
その間に、私が脳梗塞に陥り、大きな地震が来てしまった。
幸いな面としては、会えない理由の一つは、のがちゃんが鉄道関連のライターをしているので
多忙だということだ。
小学校の時の二人の会話の多くは鉄道と、それを撮影するカメラの事だったように記憶している。
今でも変わらず鉄道に関わっているのだ。
私は羨ましいと思った。
のがちゃんはリハビリで通う病院まで来てくれたのだ。
驚いた。
桜が散り始めて、川は花びらでいっぱいだった。
「知らんかったら降りて歩きそうや。肥え溜めみたいに落ちるな~。」
私はこのセリフを聞いて即座に小学校時代を思い出した。
大阪の小学生は、肥え溜めに落ちるのを最大の恥、笑い話、としていたからだ。
肥え溜めは葉っぱで隠れていて、歩いていると落ちるのだ。
彼も写真を撮りはじめた。
恐らく35年ぶりに会うのに、何の違和感も感じなかった。
声変わりの前からのお互いの声は変わったけれど、しゃべり方はそのままだ。
私のリハビリクリニックからの帰宅時のルートを一緒に歩いてもらった。
のがちゃんも高校3年の時に転勤で引っ越しして、東京の大学に入ったのだそうだ。
実は私と3年の差でしかない。
でも、二人の会話は当然に大阪のことだ。
幼稚園~小中学校をすごした町は永遠なんだ。
二人でちょっと冒険だ。
僕達が小学校だった頃、世間はSLブームだった。
全国の亜幹線やローカル線に小学生~高校生がうろうろしていたのだ。
小学生でも遠くまで遠征していた。
列車も駅も街もずっと安全で、大人は親切だった。
だから、たくさん冒険が出来た。
最近の子供は冒険が命懸けだ。
のがちゃんの息子さんはバンドでベースをやってるそうだ。
それも何と同じライブハウスに出演しているらしい。
世の中はやはり狭い、というか欲する者が出会えるようになっているんだ。
レールがこんなに近くに見えるのは、今時は珍しい。
池上線では有り得るのだが、なんだか二人で懐かしくなり、電車が来るまで待っていた。
これは子供の仕業か、大人の仕業か。
もしかしたら電車が来るまでの暇つぶしか。
「こうやって、ここで電車を撮ったりするんだよ。」
と言っても、のがちゃんなら判ってくれる。
私が特段変な人間ではなく、当たり前のように扱ってくれる。
都会の隠れたすごい撮影地だって。
彼も写真を撮っていたもの。
ハワイアンな店でランチして、昔の話をたくさんした。
そして旗の台の古びた純喫茶に移動して、電車を見ながら続きの話をした。
たった2軒のカフェでは時間がまったく足りなかった。
また会って続きを話さなければならない。
友達の事、女の子の事、電車の事、そして大阪の事をだ。
唯一無二の親友という言い方があるが、
それは「のがちゃん」の事だ。
SONY NEX-5/E18-55mm/F3.5-5.6 OSS
小学校の3年生か4年生から中学校の3年生の途中まで一緒だった。
豊中市立東丘小学校と豊中市立第八中学校は、千里ニュータウンにある大きな学校だったが、
最近はニュータウンの老齢化と少子化が重なって、児童数が極端に少なくなってしまったが、
最近は多くの低層団地が高層団地に生まれ変わり、新しい居住者も増えて、児童数も増加に転じているようだ。
のがちゃんとMixiで再会して、メールのやり取りをしていたのだが、
実際には会えないでいた。
その間に、私が脳梗塞に陥り、大きな地震が来てしまった。
幸いな面としては、会えない理由の一つは、のがちゃんが鉄道関連のライターをしているので
多忙だということだ。
小学校の時の二人の会話の多くは鉄道と、それを撮影するカメラの事だったように記憶している。
今でも変わらず鉄道に関わっているのだ。
私は羨ましいと思った。
のがちゃんはリハビリで通う病院まで来てくれたのだ。
驚いた。
桜が散り始めて、川は花びらでいっぱいだった。
「知らんかったら降りて歩きそうや。肥え溜めみたいに落ちるな~。」
私はこのセリフを聞いて即座に小学校時代を思い出した。
大阪の小学生は、肥え溜めに落ちるのを最大の恥、笑い話、としていたからだ。
肥え溜めは葉っぱで隠れていて、歩いていると落ちるのだ。
彼も写真を撮りはじめた。
恐らく35年ぶりに会うのに、何の違和感も感じなかった。
声変わりの前からのお互いの声は変わったけれど、しゃべり方はそのままだ。
私のリハビリクリニックからの帰宅時のルートを一緒に歩いてもらった。
のがちゃんも高校3年の時に転勤で引っ越しして、東京の大学に入ったのだそうだ。
実は私と3年の差でしかない。
でも、二人の会話は当然に大阪のことだ。
幼稚園~小中学校をすごした町は永遠なんだ。
二人でちょっと冒険だ。
僕達が小学校だった頃、世間はSLブームだった。
全国の亜幹線やローカル線に小学生~高校生がうろうろしていたのだ。
小学生でも遠くまで遠征していた。
列車も駅も街もずっと安全で、大人は親切だった。
だから、たくさん冒険が出来た。
最近の子供は冒険が命懸けだ。
のがちゃんの息子さんはバンドでベースをやってるそうだ。
それも何と同じライブハウスに出演しているらしい。
世の中はやはり狭い、というか欲する者が出会えるようになっているんだ。
レールがこんなに近くに見えるのは、今時は珍しい。
池上線では有り得るのだが、なんだか二人で懐かしくなり、電車が来るまで待っていた。
これは子供の仕業か、大人の仕業か。
もしかしたら電車が来るまでの暇つぶしか。
「こうやって、ここで電車を撮ったりするんだよ。」
と言っても、のがちゃんなら判ってくれる。
私が特段変な人間ではなく、当たり前のように扱ってくれる。
都会の隠れたすごい撮影地だって。
彼も写真を撮っていたもの。
ハワイアンな店でランチして、昔の話をたくさんした。
そして旗の台の古びた純喫茶に移動して、電車を見ながら続きの話をした。
たった2軒のカフェでは時間がまったく足りなかった。
また会って続きを話さなければならない。
友達の事、女の子の事、電車の事、そして大阪の事をだ。
唯一無二の親友という言い方があるが、
それは「のがちゃん」の事だ。
SONY NEX-5/E18-55mm/F3.5-5.6 OSS