日々の恐怖 11月9日 老い(1)
春というのは若い人達にとっては希望に満ちた、新しい生命の息吹を感じる季節だろうが、私くらいの年になると、何かざわざわと落ち着かない、それでいて妙に静かな眠りを誘う季節である。
夜中、猫の鳴くのを聞きながら天井を見つめてる時、あるいは、こうして縁側に座って桜の散るのを見ている時、やたら昔の事が思い出される。
知らずに向こうの空気に合わせて息をしている。
危ないぞ、と気づいて我に返ると、ひどく消耗している自分がいる。
確か、ヨシ子ちゃん、といったと思う。
私の母方の本家は東京の下町で魚屋を営んでいて、大正の頃は皇居にも魚を卸していたそうである。
とは言っても店の造りはそれほど大きくなく、一階が店舗、二階が住居になっており、その上にさらに三階があった。
三階と言っても布団を入れる納戸と、四畳半程の小さな部屋が一つあるだけだ。
ヨシ子ちゃんとは、戦前からその部屋に寝起きし、住み込みで働いていたお手伝いさんだった。
本家には家族も多くいたし、別に手伝いを雇う程のこともなかったのだが、知人からどうしても、と言われ預かっているのだと聞いていた。
生国はどこだか知らないが、いずれ東京から随分と離れていたのではあるまいか。
みんなヨシ子ちゃん、とかヨシちゃんなどと呼んではいたが、歳はもう当時で四十を超えているらしかった。
障害と言うほどではないだろうが、少し知恵が遅れていて、また口も不自由だった。
毎年、正月に親戚が集まるが、何が嬉しいのか、いつもニコニコと笑いながら人の間を、料理や徳利を運んで忙しく働いていた。
ただ、人と話したり、大人の話に飽いた私達と遊んだという記憶はない。
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