日々の出来事 3月6日 Remember the Alamo
今日は、アラモ砦が陥落した日です。(1836年3月6日)
メキシコ領であったテキサスの住民が独立を求めて反乱を起こしたのが1835年です。
このとき、メキシコはサンタ・アンナ将軍のもと3000人の軍隊を派遣し、鎮圧しようとしました。
これに対抗して、義勇軍189人が立てこもったのがサンアントニオのアラモ砦です。
このメキシコ軍3000人と義勇軍189人の戦いは、1836年2月23日に始まり、13日間の攻防の末、3月6日午前6時30分、アラモ砦を守る最後の兵が倒れ戦闘は終結しました。
この激戦で、義勇軍は全滅、メキシコ軍は戦死者1500人と言われています。
義勇軍の中には、多くの伝説が残っているデービー・クロケットやジム・ボウイが命を落としています。
その後、1836年4月21日にメキシコ軍はサム・ヒューストン将軍のテキサス独立軍に破れ、テキサス共和国が成立しました。
そして、1845年にテキサス共和国はアメリカ合衆国に加盟し、テキサス州になりました。
多くのアメリカ人にとってアラモ砦が落ちた3月6日はアメリカ人の誇りとして特別な意味を持っています。
よく知られた“Remember Pearl Harbor”は、このアラモの戦いに関する合言葉“Remember the Alamo”がもとになっています。
☆今日の壺々話
デービー・クロケット
デービー・クロケットは、西部開拓時代のアメリカの英雄です。
頭にアライ熊の帽子を被り、飾りの尻尾がチョロッと頭の後ろに垂れている姿がよく挿絵に描かれています。
3才で熊を退治したと言う伝説は歌にもなり、アメリカでは非常に有名な人物です。
デービー・クロケットの歌(Ballad Of Davy Crockett)は、ディズニーのテレビ西部劇である“鹿皮服の男”の主題歌で、主演のフェス・パーカーが歌ってヒットしました。
Born on a mountain top of Tennessee~♪(生まれはテネシーの山の中~♪)と言う物ですが、日本ではドリフターズが、なかにし礼作詞の替え歌“デービー・クロケットのうた”として歌っています。
デービー・クロケットのうた
歌ドリフターズ、作詞なかにし礼
ヽ( ・∀・)ノ そもそも生まれた その時に
お産婆さんの手をにぎり
今晩おひまと聞いたなら
間に合ってますと断わられ
あゝ残念 それからどうしたの ♪ヽ(´∀`)ノ
♪(´∀`)ノ゙ 入学早々お隣に
坐ったちょっぴり可愛い子
二十年あとの結婚を
迫ってあっさり断わられ
あゝ残念 それからどうしたの ♪ヽ(´∀`)ノ
♪(´∀`)ノ゙ 会社のデスクは見合の場
花嫁候補の数つきぬ
社長の秘書から給仕さん
掃除のおばちゃんにも断わられ
あゝ残念 それからどうしたの ♪ヽ(´∀`)ノ
♪(´∀`)ノ゙ 泣き泣き親父をかきくどき
やっと決った婿養子
どうにか結婚出来るなら
この際ぜいたくは言いません
あゝ良かった 本当に良かったね ♪ヽ(´∀`)ノ
♪(´∀`)ノ゙ 見ると聞くとは大違い
もらった女房は大不作
何の因果か因縁か
俺の女運悪すぎる
あゝ気の毒 同情にたえないわ ♪ヽ(´∀`)ノ
この歌をアメリカが聞いたら、ミサイルを打ち込まれそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/70/e5bb92e6a25e3ebf99a594227ec34408.jpg)
The Ballad Of Davy Crockett
作曲:George Bruns
作詞: Grant Sherman Henry and Thomas W. Blackburn
ジョージ
テキサスのジョージは、息子に農夫としての資質があるか不安だった。
そこで息子の部屋にこっそり聖書とリンゴと1ドル札を入れてみた。
もし息子がリンゴを手に取ったら農場を継がせよう、だが聖書を取ったら牧師に、1ドル札を取ったら銀行家にしようと考え、5分後にドアを開けた。
息子は聖書に腰掛けてリンゴをかじっていた。
「 おい、1ドル札はどうした?」
「 知らないよ。」
結局、息子は政治家になった。
アメリカのジョーク“テキサスのイメージ”
とあるセールスマンの男が、新規にお客を開拓しようと初めてテキサス州を訪れた。
その日、彼は夜遅くに到着した為、モーテルで宿をとることにした。
また、食事もしていなかったので、早々にチェックを済ますとすぐに近くのレストランへディナーをとりに出かけた。
彼は席に着くなり、ウェイトレスに注文した。
「 とりあえず、スモールサイズのビールをもらおうか。」
しばらくすると、彼女はビールがなみなみと注がれた馬鹿でかいマグカップを持ってくると、目を丸くしている彼の元へどんっと置いていった。
「 へい、ウエイトレス!」
「 何でしょう?」
「 オレは、スモールサイズのビールを頼んだんだがね?」
すると、彼女は顔色も変えずこともなげに言った。
「 お客さま。テキサスでは、これがスモールサイズですよ。」
次に彼は、食事をしようと再度、注文した。
「 じゃ、スモールサイズのステーキをもらおうか。」
しばらくすると、ウェイトレスは、今度は厚さが2インチはあろうかというぶ厚くてワラジのようなステーキを持ってきた。
彼は、またしても目を白黒させながら叫んだ。
「 へい、ウエイトレス!」
「 何でしょう?」
「 オレは、スモールサイズのステーキを頼んだんだがね?」
すると、彼女は顔色も変えずこともなげに言った。
「 お客さま。テキサスでは、これがスモールサイズですよ。」
そのうちに、彼はビールを飲んだのでトイレに行きたくなった。
仕方なく彼は、さっきのウェイトレスに尋ねた。
「 へい、ウエイトレス!」
「 はい、今度は何でしょう?」
「 あの、トイレは何処?」
「 ああ、トイレはですね。
そこの階段を下に下りて、突き当たりを右に行った所です。」
早速、彼は、彼女の言う通り階段を下りていったが、右ではなく、間違えて左へ行った先のドアを開けてしまった。
すると、彼の眼前には、そのホテルの大きなプールが現れた。
それを見た男は、腰を抜かしながら叫んだ。
「 どっひゃーっ!何て馬鹿でかい水洗トイレなんだ!!」
ホラー映画
父親と「テキサスチェーンソー・ビギニング」を見ていた時(えらく猟奇的でグロイ映画)。
主人公を含む被害者らに完全に感情移入していた父親。
とにかく観てる間、ずっと登場人物らに話かけまくり。
主人公の女の子が殺人犯の家から逃げ出しかけたのに、友達の悲鳴をきいてまた家の中に戻るシーンがあるんだが、そこでも、
「 逃げて~逃げて~!アンタ1人で戻って何が出来る!?」
と目を見開き、頭を抱えながらの必死の説得をしていた。
映画なんかほとんど観ず、特にホラーに関しては全く免疫の無い父。
映画の終わりには魂が抜けたような顔で、
「 エライ世の中になった・・・。」
と呟きつつ、廊下中の電気をつけて部屋に戻っていった。
アラモ
高校にいた頃、普通の不良とは違う「本物のワル」を演出したくて腰にガンベルト巻いてそこにエアガン差してた。
(一発撃つごとにスライド引かないと撃てない、対象年齢10歳以上1980円)
あとフリスクをビニール袋に入れてコカインっぽく装ってた。
ガタガタ震えながら、おぼつかない足取りでトイレに向かい、わざと廊下から見える位置でフリスクを口に含む。
口に含んだ瞬間、体をブルルルッて震わせて、
「 シィイッ・・・!っはぁ、はぁ・・・。」
みたいに本物のヤク中を演出。
クラスメイトが「それ何?」って聞いてきた時は、
「 ・・・お前もやるか?気を付けろよ、三秒でぶっ飛ぶ。」
と言ってニヤリと不敵に微笑み。
ある日、調子に乗りすぎた俺をシメにきたヤンキー達が教室に現れた。
俺はエアガンで脅してやろうと思い、速撃ちの体制を取った。
“ 本物の銃かと思ってビビるぜ、アイツら。ククク!”
と思った俺は、周りのクラスメイトに、
「 頭下げてな、コイツらは俺の獲物だ!」
と言い放ち銃を向けた。
当然、ヤンキーは偽物だとわかり“撃てよホラw”と挑発。
焦った俺は後に引けず引き金を引いた。
“ポンッ!”と勢いよくBB弾がヤンキーの腹に当たった。
ダメージは0だった。
意識が無くなるまでボコボコにされた。
それ以来、俺はおとなしくなり、最低の高校生活を送った。
後から知ったことだが俺は、
「フリスクで飛ぶ奴」
「ビバリーヒルズコップ」
「アラモ」
などと呼ばれていたらしい。
書いてて、今涙が止まらない。
アラモ・・・・・?
アラモを忘れるな!
えっ、アダモちゃん??
アラモって島崎俊郎かと思った。
アダモちゃん、ペイッ!
アメリカに住んでた頃の話
小さいとき、アメリカに住んでたんだ。
よく映画で見るようなフツーの住宅街。
うちは玄関の前になんていうのかな、こうベンチみたいなブランコがあったんだよ。
ちょっとしか揺れないやつ。
年寄りが、子供が庭で遊ぶのを眺めるためのやつだよ。
夕方、友達ん家から帰ってくると、子供がベンチで横になってる。
知らない子供。
オレも子供だったけど、学校でも見たことのない(つまりこの近所にはいない)子供だった。
金髪で青い目の普通の子。
でも顔色は悪かった。
人んちの玄関の前で横になってるなんてなんか変だったし、顔色も悪かったから、
「 そこでなにしてるの?(もちろん英語で)」
って聞いたら、
「 気分が良くないんだ。」
悲しそうな声だった。
「 病気なの?」
「 わからない。」
救急車呼ばなきゃ!って玄関開けて、
「 ママー!」
って叫んで、母ちゃんがなんだなんだと焦って駆けてくる足音がして、ふっとまたベンチのほうを見たら、もう誰もいなかった。
道路へ続くコンクリートを歩く音も、芝生を踏む音も、ベンチが揺れる音もなかった。
ベンチもまったく揺れてなかった。
ベンチに触れてみた。
子供心に、体温が残ってるはずだと思った。
それらしいぬくもりは感じられなかった。
母ちゃんが来て、
「 どうしたの?」
って聞かれたけど、
「 なんでもない。」
って言っておいた。
日本に帰る前に一度だけまたこの子を見た。
同じように友達の家から帰った夕方、またベンチに寝てた。
遠くから金色に輝く髪の毛が確認できた。
2回目はやばっと思って、一度友達の家に戻ろうと家に背を向けて・・。
なにを思ったか好奇心で振り返ったら、誰もいなかった。
この家には、他にも変なコトがたくさんあった。
ガレージは、車からリモコン一発でガラガラガラガラってすごい音で開くようなやつだった。
オレは当時ゲームオタクで一日中ゲームしてて、親とでかけるのがイヤだった。
その日も一人留守番しながらウィザードリィ5。
ガラガラガラガラといつもの音がして、ガレージから廊下へ続く古びたとがきしむ音。
「 おかえり~!」
と、同時にこっちに走ってくる足音。
振り向くと、隣の姉貴の部屋のほうへフリルのついた靴下を履いた足が通り過ぎた。
もう一度、
「 おかえり~!」
って叫んでも返事がない。
“ あれれ?”
と、もう一度、
「 おかえり~!」
って叫んでみた。
“ あらっ・・、買ってきた荷物をおろしてるのかな?”
ガレージに向かう。
先ほどと同じ音をたててきしむドア。
ひょいとガレージを覗きこむと、真っ暗なガレージはもぬけの空。
“ 姉ちゃんだけ降ろして、またでかけたかな?”
と姉の部屋に向かうも誰もいない。
歩き回ったけど、結局オレしかいなかった。
だいたい当時、姉貴はアニメオタクでフリルのついた靴下なんて履かないし、今思うと姉貴はデブってて、あんなに足細くなかったなあ・・・。
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