日々の恐怖 5月22日 お守り(2)
母は特定疾患の関係で少々膝を傷めていましたが、山岳用の杖を駆使して那智の滝と那智大社をすべて回り、(私は翌日筋肉痛で泣きました)那智大社すぐ下の熊野古道の看板のところで記念撮影をしてから、お宿へ行きました。
メインの道路からはずれたところにあるその宿、いや、宿というよりホテルに近い感じでしたけれど、とにかく泊まる予定の場所は、リアス式港のすぐ横をせり出た感じに立っている古めのお宿でした。
本来なら16時にはチェックインできる予定でしたが、那智大社の階段を下りるのに思ったより時間を食ってしまったので、ついたのは18時をまわっていました。
7月ですからちょうど夕暮れで、山間に沈む夕日が赤々と綺麗でした。
案内された宿は本当にオーシャンビューで、2人で泊まるにはちょっともったいないような、トイレとお風呂のついた和式のお部屋でした。
ここでかなりテンションのあがった私と母は、お泊り荷物セットの片付けもそこそこに写真を撮り始めました。
とにかく部屋のいたるところを私は撮り、母は窓から見える景色をしきりに撮っていました。
ちょうど夕日が完全に沈み込んで、母が夕日と海の写真を、
「 綺麗綺麗!!」
と、はしゃぎながら撮っていたときです。
突然ピタッと不自然に母は喋るのをやめました。
不審に思って、
「 どうしたの?」
と声をかけると、母は突然カーテンをシャッと閉めました。
無言で反対側のカーテンもシャッとしめて、母はニコッと笑いました。
「 ん、ああ、ちょっとはしゃぎ疲れちゃったから、温泉行こうと思って!」
母にしては奇妙な笑い方だった気がしますが、まあ確かに歩きつかれたこともありましたし、一応曲がりなりにも虚弱体質な母を思えばそうなんだろう、とそのときは納得して、一緒に温泉へ浸かりに行き、布団も敷いて就寝の運びとなったのですが、電気も消してさあ寝るぞ!となったところで母が突然、
「 Mさん、ちょっとあなたのバッグ貸してくれない?」
「 なんで?」
「 添い寝するから。」
意味がわかりませんでした。
けれども母はしきりに私のバッグと添い寝したがってましたので、まあ、そういうこともあるかもしれない、と無理やり私自身を納得させて、私のバッグを母に貸し与えて就寝しました。
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