新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

パリを歩く⑩ エッフェル塔で見た虹。全景だけじゃない、真下からの美しさも再発見する

2019-03-23 | パリ・街歩き

 エッフェル塔は今やパリになくてはならない象徴的な建造物になっている。が、1889年、フランス革命100周年を記念して開かれた第3回パリ万国博に合わせて建設された時には、賛成よりも反対の声の方が多いくらいだったという。

 「鐘楼の骸骨」「巨大な黒い煙突」「悲劇的な街灯」・・・。だが、時がたつにつれて、その鉄の記念碑は街になじみ、民衆から親しまれるモニュメントとして定着していった。
 反対の声を上げていた作家モーパッサンはある時、エッフェル塔の中にあるレストランで食事をしている所を目撃された。その時彼は「だって、パリの街でエッフェル塔を見ずに済むところはここしかないから」と、言い訳をしたという。

 雨続きの日々の中で、わずかに数時間だけ晴れた時があった。急いで地下鉄に乗りエッフェル塔に向かった。地下鉄といっても6号線は、塔近くまで来ると地上に出る。その瞬間パリの空に虹が出ているのに気が付いた。さあ、早くエッフェル塔近くの駅まで着いてくれ!

 やっと駅について空が見えた時には、虹はほんの少しだけを残して消えかかってしまっていた。でも、貴重なパリの虹が、これ。

 塔に行こうとしたら、以前はなかった透明なフェンスが張り巡らされていた。デモ対策かと思ったら、実は東京の次の開催が決まったパリオリンピックのための周辺整備の一環だという。

 係員の荷物チェックを通過して塔の真下に回ってみた。そこから見るアール部分に施されたすっきりしたデザインの美しさが、個人的にはかなり気に入っている。

 そして、324mの高さを支える脚部のたくましさ。

 白黒だけのエッフェルも味わいがある。

 傍らに、全く目立ちもせずにそっと置かれたギュスターヴ・エッフェルの像。

 日没が過ぎてライトアップが始まった。アール越しに見えるシャイヨー宮の眺めも面白い。

 真下では見られない角度、エッフェル塔を水平の位置で眺められる、パリ市内唯一の場所・モンパルナスタワー(210m)から見た夕暮れのエッフェル塔の姿はこんな風

 周囲が暗くなり、毎時毎に光るシャンパンフラッシュのエッフェル塔とパリは、非日常の別世界を実現してくれる。(この2枚は以前のパリ旅行時に撮影したものです)

 真下に戻ろう。こうして見上げると第一展望台のがっしりした構図は、しこを踏む力士の力強い安定感を思い起こさせる。

 夜のとばりが完全に降りた。暗い青に包まれた黄金の塔。

 雄大さが一層引き立って見える。そんな姿を背景に、家路に就いた。

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パリを歩く⑨ オペラガルニエ=シャガールの天井画にはエッフェル塔や凱旋門も描かれていた

2019-03-19 | パリ・街歩き

 19世紀半ばのパリは、無秩序に造られた家並みと垂れ流し状態の汚水にまみれた都市だった。それを一挙に刷新しようとしたのが、ナポレオン3世の命を受けたオスマン・セーヌ県知事のパリ大改造だった。

 凱旋門のあるドゴール広場を中心に大通りを星形に配置し、建物の高さをそろえ、そして1875年にはオペラ大通りの終点にランドマークとなるオペラガルニエを建設して、パリは花の都に生まれ変わった。

 そのオペラ座(オペラガルニエ)を見てみよう。

 天井の中央にはアポロ像。詩と音楽の神だ。

 屋根の両端には巨大な黄金の像。

 入口右側の彫刻はジャン・バティスト・カルボーの「ダンス」。中心にタンバリンをたたく神がいる。

 中に入ってみた。正面に大階段がそびえる。高さ30m。優雅な曲線を描いて人を内部に招き入れる。

 大理石の手すりに触れ、モザイク装飾で覆われた天井を見上げながら階段を一段ずつ踏みしめる瞬間、

 まさに人は観客としてだけではなく、

 これから展開される舞台の主役としての‟仮想興奮”をさえ、味わうことが出来てしまう場所だ。


 54mの長さを持つホワイエには、シャンデリアが輝いている。

 ここの天井には33枚のモザイク絵が飾られている。その華やかさは、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間にも匹敵する特別のハレの間と言えそうだ。

 階段の踊り場付近に、バレエシューズがオブジェのようになって飾られていたのが面白かった。

 舞台は幅31m、奥行き32m、高さ20mの馬蹄形。

 中心に吊るされるシャンデリアは6トンの重さがあるという。

 座席数は約2000席。

 各所に装飾が施されている。

 ここの天井画を描いたのはシャガールだ。

 その円形の絵の中には、実はシャガール特有の浮かぶ人達だけでなく、パリならではの風景を描き込んだ。ここにはエッフェル塔。左手に小さくパンテオンも。

 凱旋門もある。

 そして、ここオペラ座もちゃんと描かれていた。
 
 
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パリを歩く⑧ パリの守護聖女を知っていますか? ジュヌヴィエーヴを祀るデュモン教会

2019-03-15 | パリ・街歩き

 セーヌ左岸、パンテオン近くにあるサンテティエンヌ・デュ・モン教会に出かけた。ここはパリの守護聖女であるジュヌヴィエーヴを祀る教会だ。
 彼女は5世紀にパリに蛮族が侵入した際、パリの街を守って活躍し、聖女となった女性だ。

 入ってみて、とても高い空間に気分が晴れ晴れするのを感じる。
(天井の低い家が好きなのに、妻に高い家の購入を押し切られて屈折する夫(竹野内豊)のCMがよく流れているが、私はやっぱり天井の高い家が好きだ)。

 その正面に向き合うと、この教会独自の形態に目を引かれる。内陣と身廊との間に仕切りがなされている。これは「ジュペ」と呼ばれる形で、パリでは唯一この教会だけに見られるものだという。

 両脇にある螺旋階段の見事なカーブは実に優雅。

 植物の花弁などをモチーフにした透かし彫り細工が丁寧に施されている。

 空を舞う天女の姿も見つかった。

 天井にはアーチを描く枝のような模様も。

 鮮明なステンドグラスもある。

 こちらのステンドグラスにはジュヌヴィエーヴの葬儀の模様が描かれている。その背景にこの教会があるのを見つけた。

 ジュヌヴィエーヴ像も祭壇に飾られていた。

 彼女の像はこの教会内だけでなく、パリの街中にも設置されている。トゥルネル橋という、ノートルダム大聖堂の後ろ姿を眺めるベストポイントのたもとに立つ大きな像が、そのジュヌヴィエーヴ像だ。

 内陣奥にある黄金色の箱は、彼女を納めたものだ。

 「ピエタ」の群像もあった。

 この木像はだれだろう。

 こちらは聖母像に違いないようだ。

 こんな屋根部分が宙吊りになったような説教壇もあった。

 すぐお隣はパンテオンなのだが、残念なことに今日は臨時休館だった。

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パリを歩く⑦ どこかミステリアスムードに包まれた教会に入る。シャルドネ教会

2019-03-12 | パリ・街歩き

 サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会に入った。

 最初に強いインパクトを受けたのが「飛ぶ天使と見上げる老婆」。ジャン・コリニョンの作品。老婆の悲痛な表情が、ただならぬ事件を連想させる。

 中央祭壇には上部に聖母が描かれ、

 中心に聖母子像が置かれている。

 見渡すと、周囲にもあちこちに様々な彫像、レリーフが配置されれているのが特徴的だ。

 この礼拝堂も上部には女性像があり、

 その下部には倒れかかった老人がいる。先ほどの「天使と老婆」の構図と関連させたものなのだろうか。

 立派なパイプオルガンにも子供たちの像が載っている。

 何かに縋るかのように、必死に手を合わせるこんなレリーフも。

 どこか悲壮感を漂わせる女性像。

 黒い聖母像。スペインでは見たことがあったが、フランスでは黒い顔をした聖母とは初めての対面だ。


 全体的になぜかミステリアスな雰囲気が充満している教会だった。


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パリを歩く⑥ モディリアニが、サルトルが、ロバート・キャパが。芸術家や文学者たちがたむろしたカフェを巡る

2019-03-09 | パリ・街歩き

 サンジェルマン・デ・プレからモンパルナスにかけての地区は1900年代前半、エコールドパリの芸術家や文学者たちが集うカフェの聖地だった。今も健在なそんなカフェを訪ねて歩いた。

 サンジェルマン・デ・プレ教会のすぐ近くにあるカフェ・ド・フロールに入店し、朝食を摂った。ここには哲学者サルトルとボーヴォワールがよく訪れた。午前中は原稿の執筆、午後は友人との語らいに時間を過ごした場所だ。「フロールは私たちにとって我が家のようなものだった」(サルトル)。

 机に敷かれた紙には、開店当時の店の写真が載せられていた。
 
 そのすぐ隣、教会側にはドゥ・マゴがある。以前は中国の絹を売る店だったため中国人形が飾られていたが、カフェに変わってもその人形は健在だという。ちょうどこの時は店の改装中で閉店していた。ここも実存主義者たちのたまり場だった。

 カフェ・ボナパルト。赤と青のひさしが目印だ。ここは近くの国立美術学校の生徒たちでにぎわう店。地下には店名の通りナポレオンの写真が飾ってあったりする。

 サンジェルマン大通りの向かい側にはブラッスリー・リップがある。かつてはヘミングウエイが足しげく通った店だ。

 少し足を延ばしてモンパルナス地区に進もう。地下鉄ヴァヴァン駅のすぐ前にあるのが、ラ・ロトンド。1903年のオープン以来エコールドパリの芸術家たちを中心に多くの若者たちが集まった場所。私はモディリアニの足跡を訪ねての行動の際、何度もこの店に寄った。


 店内にはモディリアニが描いた妻ジャンヌの絵を始めとして、何点もの絵の複製が飾られている。モディリアニはこの店のナプキンに即席で客の似顔絵を描き、わずかな収入で酒を買っていた時代だった。

 重厚な褐色に統一された店内は、とても居心地が良かった。

 ロトンドの窓を通してル・ドームの店が見える。ピカソ、フジタ、キャパなども常連だった老舗のカフェ。今は高級レストランになっている。

 ロトンドの近く、モンパルナス大通りを行くとクーポールがある。このテラス席では、1つの運命的な出会いがあった。

 ロバート・キャパがまだ無名の頃、モデルを探して街を歩いていて、この店のテラス席に座る青い目の女性に興味を持った。彼女を話しているうちにキャパは彼女の友人を紹介された。

 その人こそゲルダ・タローだった。ゲルダは自身もカメラマンとして活動する傍らキャパのマネージメントを行い、スペイン内戦にも2人で遠征した。キャパの代表作となった「崩れ落ちる戦士」の撮影も彼女のアシストなしには撮れなかったといわれている。

 そんな2人の出会いのきっかけがこのテラス席だった。

 その向かい、ル・セレクトもカフェ文化の一角を担っていた。今も芸術家が集まるスポットという。

 「フランス人は右岸で消費し、左岸で考える」ということわざがあるが、それもこうした歴史を踏まえたもののようだ。





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