新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

階段紀行・イタリア ローマ編③ 行くたびにオードリーを思い出すスペイン階段

2021-09-21 | 階段紀行・イタリア

 スペイン階段はスペイン広場にある大階段だ。1725年フランス大使の援助によって造られたもので、近くにスペイン大使館があったことからスペイン広場と名付けられた。

 この階段ですぐ連想されるのが「ローマの休日」。オードリーヘップバーン主演映画で、オードリーがおいしそうにジェラートを食べるシーンは全世界のファンに強い印象を与えた。私も初めて行った時には、しっかりここでジェラートをほおばったことがある。

 でも、現在では階段での飲食は禁止となってしまった。

 階段の段数は実に137段。古代野外劇場の観客席のような高さを持っている。

 実はこの広場と、

 トリニタ・デイ・オンティ教会のある丘の上とは急な崖で隔てられたいた。だが、階段の創設で直接行き来が出来るようになった。頂上から見下ろすコンドッティ通りはローマ有数の高級ショッピング通りだ。

 階段下にはベルニーニの「舟の噴水」がある。コロナ禍以前は、いつ行ってもあふれるほどの観光客でにぎわっていたが、いまはさすがにひっそりとしているそうだ。

 

 

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階段紀行・イタリア ローマ編② 歴史を連想させる雄大な階段、騎馬将軍たちのための階段

2021-09-18 | 階段紀行・イタリア

 ヴィットリオエマヌエーレ2世記念堂脇に非常に幅広く大きな階段がある。初めてこの階段の前を通った時ちょうど真ん前を馬車が歩いていて、まるで古代ローマの1シーンを見ているような歴史的な雰囲気を味わった場所だ。

 古代にユノ神殿があったとされるマルクスの丘に建つS・N・アラチェリ教会に通じる大階段だ。

 122段を数える雄大な階段だけに、その姿から「天国の階段」とも呼ばれている。

 階段自体は14世紀流行したペストの終焉に感謝して奉納されたものだという。

 アラチェリ教会には17世紀、支倉常長一行が遣欧使節としてローマを訪れた際、ここに宿泊した場所で、日本とも意外なゆかりのある教会でもある。

 奇跡を起こすといわれて信仰の対象になっている「聖幼子」が祀られている。アラチェリとは「神の子の祭壇」を表す言葉だという。

 アラチェリ教会の隣りにはカンピドリオ広場がある。この広場にも長い階段を上がって行く。

 ただ、ここは私たちが考える階段とは一風変わっていて、1段の平面が3mもあり、段の高さは数cmほどの低い高さ。

 その理由は建造年代と深くかかわってくる。完成はルネサンス時代。当時の将軍たちは騎馬で移動しており、馬に乗ったまま階段を楽に昇れるようにと、高さを制限して設計された。「コルドナータ(低い段のついた傾斜)」と呼ばれる。そんな形状なので、小さな段のついたスロープとでも呼んだ方がぴったりする。

 そういえば階段の先にはギリシャ神話上の双子の英雄カルトレとボルックスが馬を従えて立っている。

 その奥にあるカンピドリオ広場には、ミケランジェロの構想による幾何学模様を持つ美しい広場になっている。

 

 

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階段紀行・イタリア ローマ編① ヴァチカン美術館の階段は、人体のDNAと同じ二重らせん構造

2021-09-14 | 階段紀行・イタリア

 ヴァチカン美術館は、絵画館、システィーナ礼拝堂、美術館など20もの展示スペースがまとまったローマ法王庁の一大コレクションだ。

 その中で階段に注目すると建物出口にあたる場所にある螺旋階段は、その優雅さにおいて別格の美しさを誇っている。設計者はジュゼッペ・モモ。

 大きな円を描きながらゆっくりと回転して行く階段は、いつまでも飽きずに眺めていられる。

 と、ふと気づくとその階段を歩く人たちは全員が同じ方向に向いている。皆が下りだけで、上りの人はいない。実はこの階段は上りと下りが全く交わらない二重らせんになっており、今は(私が訪れた時)下り専用の階段として使われていたためだ。

 階段の完成は1932年。増築された同美術館の出入り口の建物内に新設されたものだった。

 手すりの壁には植物、鳥、天使などの各種レリーフが刻まれ、

 真上にある八角形の天窓から光が差し込む。

 再び階段を見下ろすと、上から下に向けて円が少しずつ内側に張り出していることがわかる。 つまり、各階の階段円の直径が少しずつ小さくなっているのだという。それもまた、独自の味わいを生み出しているようだ。

 せっかくここにきたので、 代表的な美術作品を何点か。

 まずは「ラオコーン」。ベルヴェデールの中庭にあるこの彫刻は、後期ヘレニズム時代の傑作。ミケランジェロもこの作品に大きな影響を受けたという。

 「アテネの学堂」。ラファエロの代表作の1つで哲学の勝利を表現した。ダヴィンチやミケランジェロの姿を借りて描き込んでいるのも面白い。ラファエロ自身も顔を出している。

 メロッツォ。ダ。フォルリ作「奏楽の天使」。楽器を奏でる天使たちの連作だが、可憐な表情に癒される。

 

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階段紀行・イタリア ヴェネツィア編⑧ 描かれた階段。画面の中で階段が見事な効果を発揮している

2021-04-10 | 階段紀行・イタリア

ヴェネツィアでは階段が登場する名画に何度もお目にかかった。その一部を紹介しよう。

 アカデミア美術館にある「聖母の神殿奉献」。3歳時のマリアが両親に連れられてエルサレムの神殿を訪問する場面。ルネサンス時代「画家の王」と称されたヴェネツィア絵画の第一人者ティツィアーノの作品だ。

 絵の下部がでこぼこになっているが、これは美術館の前身であるカリタ同信組合の宿泊所サロン時代に、その戸口の配置に合わせて描いたものがそのままの状態で残っているためだ。

 15段の高い階段を一人でちょこちょこと昇って行く少女マリアの姿が、愛らしく描かれている。石の階段の硬さがマリアの柔らかさを対照的に引き立てている。

 こちらも同じ題材の「聖母の神殿奉献」だが、作家はティントレット。マドンナ・デ・ロルト教会の作品だ。こちらは光と影のドラマチックな場面を得意とした画家らしく、神殿に参る幼子マリアを夕方の時間帯に設定している。上空の空が赤味を増す中、高い階段を母に手を添えられて昇ろうとするマリア。母子の信頼と愛情をほうふつとさせる情景が、印象的な光の中に描かれた。

 その姿とよく似た光景を、リアルト橋で見つけた。母子の姿がとても微笑ましかったので、ついシャッターを切った1枚だ。

こちらも「聖母の神殿奉献」。サルーテ教会のルカ・ジョルダーノの作品だ。同様にかなりドラマチックな構成だ。相当急な階段で、子供の足ではなかなか昇れなさそうな急坂だが、マリアは、もう間もなく階段を昇り終えそうなところまで達している。

 やはり後に聖母となる人の強い精神力を、あるいは信仰の力をそれとなく表現しているのだろうか。

 このように、同じ題材でも画家によってかなり変化のある作品に変わって行くことが面白い。そして階段もそれぞれに独創性を発揮したものになっている。

 最後にジャンバティスタ・ティエポロの「ロザリオの制定」。ザッテレの海岸沿いにあるジェズアーティ教会の作品だ。ドミニコ修道会の創始者である聖ドミニクスがロザリオを掲げて異端者たちを追い払うという奇蹟の場面。ドミニクスは階段を昇り切った壇上に立っている。

 異端者たちはドミニクスの威光に恐れおののき、階段を転げ落ちるように倒れ込む。極端な仰視法で描かれた絵の中で、階段が見事な効果を発揮している。

 

 

 

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階段紀行・イタリア ヴェネツィア編⑦ 祭りの階段、暗闇の階段、歴史の階段

2021-04-06 | 階段紀行・イタリア

 トレアルキ橋。「3つのアーチ」という意味の橋名で、橋の形からこの名称になった。本土側に近い場所に位置し、かつては本土側から運ばれる物資輸送の大動脈となった運河の入口にある橋だ。

 結構高い勾配の階段がついている。この階段が最高の観覧席“祭りの階段”になる日がある。

 それが、6月に行われる長距離ボートレース「ヴォガロンガ」。このレースのメインコースになっていて、階段から1000隻以上のボートがこの橋を通る光景をつぶさに眺めることが出来る。ヴェネツィアが祝祭都市であることを強く印象付けられるシーンだ。

 私が訪れた年は天候も絶好で、レーサーも観客も一体となって楽しむ姿があふれ、街中に歓声が響き渡っていた。

 橋の外壁に、まるで祭りを楽しむかのようなこんなユーモラスなイラストが付けられていた。

 次の階段は「暗闇の階段」。フェニーチェ劇場近く。ちょっとしたソットポルティゴ(アーケード)になっている通りがあった。暗い穴倉のような場所で、すぐ前方に光の差し込む階段が見え、右側には小運河の水が、ひたひたと音をたてて流れていた。

 何となく立ち止まり、その音を聞いていたら、旅姿の女性がバッグを抱えながら足早に私を追い越していった。ただの観光客ではない、少し切迫した荒い呼吸と乱れた足音を残したまま・・・。

 標識に書かれている「ponte de le tette」とは『おっぱい橋」の意味だ。サンポーロ地区の小さな運河に架かる小さな橋。階段の数も前後6段ずつ。でもあえて取り上げたのは、その名前に歴史が隠されているからだ。

 16世紀のヴェネツィアでは同性愛が流行していた。このままでは国の宝である子供の数が減少する一方だ。時の政府は。男性に女性の関心を高めさせようと、娼館の女性たちに。おっぱいの露出による挑発を奨励した。

 その娼婦の館があったのがこの階段の前だったため、こんな名前が付けられ、今も残っているという。

 華やかなヴェネツィアの表舞台とは違った裏の歴史を刻む階段というわけだ。

 

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