新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ベルガモ④ サン・ヴィジリオの夕景、チェントロの夜景、そして思いがけないプレゼント

2018-05-15 | イタリア・ベルガモ

 旧市街はライトアップされるというので、その風景をカメラに収めようと思ったのだけれども、一向に陽が傾かない。ヨーロッパの初夏は本当に日が長い。

 以前、パリ・ヴェルサイユ宮殿の花火を見に行ったときは、日没が午後10時半で花火開始が11時。パリに戻る終電車に間に合うかどうか焦ったことがある。
 
 5月後半のイタリアはそれほどではないものの、暗くなるのは9時ころなので、その前に夕食を摂ることにした。

 7時なら店は開くだろうと、B&Bオーナーお勧めの店に行くと、オープンは7時30分とのこと。困った顔をしていると、「オープンまで中に入って待っててもいいよ」。ビールを頼んで中で待たせてもらった。

 地元特産料理の食事の終わったのが8時40分頃。そのままチェントロに向かってゆくと、

 サン・ヴィジリオの山の方がいい感じに夕焼けになってきた。


 旧市街広場にやってきた。洗礼堂の屋根に天使像があるが、その像が茜色の空を背景に、まるでフクロウのような姿のシルエットになっていた。

 横に並ぶ教会のシルエットも美しい。

 燃えるような夕焼けが、そんなシルエットを見事に引き立たせている。日本国内ではなかなかこんな色の夕焼けにお目にかかったことがなかった。


 コッレオーニ礼拝堂も暗い中に佇んでいる。

 マッジョーレ教会の入口はライトアップされた。

 入口のタンパンも照明に照らされて、柱の装飾と共に繊細な模様が浮かび上がる。

 また、奥まった場所に位置しているため昼は目立たないドゥオモも、ファザードがライトアップされてちょっとうれしそうに輝いている。

 振り向くと、ラジオーネ宮の通路の3つのアーチ越しに広場の向こう側に建つ図書館(旧ヌオーヴォ宮)が、照明によって際立って見えた。

 チェントロのたたずまいは、昼とはまた違う美しさを見せる。そんな時間帯に立ち会うことが出来て幸せ。
 
 ちょっとうれしい気持ちで宿に帰り、部屋から外を見た時、もう1つの夜景が目に飛び込んできた。

 この宿が高台にあることは調査済みで予約したのだったが、夜の見晴らしまでは考えていなかった。バッサ(下の街)の街並みが何列にも真横に並んで、点灯された家々の照明が重層の光となって瞬いている。
 
 思いがけないプレゼントをもらった気がした。


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ベルガモ③ マッジョーレ教会の踊り、空飛ぶ天使たちとドニゼッティの墓碑

2018-05-12 | イタリア・ベルガモ

 前回紹介したように、マッジョーレ教会はまさにきらびやかな空間だが、そのきらびやかさにも負けない存在感を発揮している一角があった。
 
 告解聴聞席。信者たちの懺悔などを聞く場所。黒光りする木製のものだが、各所に精密な彫刻が丹念に施されている。アンドレア・ファントーニの作品だ。

 最上部にはまるでティントレットが描いたかのようなダイナミックな姿の聖人像。

 脇には十字架を持った男性。

 何人もの女性たちが控える。一つ一つの彫刻を眺めているだけで、時の過ぎるのも忘れてしまいそうだ。

 それぞれに豊かな表情を湛える。

 こちらには空飛ぶ天使。

 かと思えば、戯れる無邪気な天使たちも。

 ダンスしている!

 細かなレリーフも各所に施されている。ぐるりと廻りながら観察しているうちに、20分もそこで過ごしていた。

 教会の奥まった場所に、一人の音楽家の墓碑があった。ガエタノ・ドニゼッティ。

 しなやかな女性の像が載せられたもので、最初は気付かなかったが、教会の清掃係の女性が指差しで教えてくれた。像はヴィンチェンツォ・ヴェラ作。

 像の下に彼の肖像画が添えられていた。

 墓石には7人の天使がいる。それぞれがドレミの7つの音叉を持っているのだという。その下にドニゼッティの名前が刻まれ、花が添えられたいた。

 ガエタノ・ドニゼッティはベルガモ生まれで、19世紀前半のイタリアを代表するオペラ作曲家として、ロッシーニなどと並ぶ人気を博した。
 イタリアだけでなく、パリやウイーンなどでも成功を遂げるが、40代後半から病を患い、50歳でベルガモに戻りまもなく永眠した。
 代表曲に「愛の妙薬」「ドン・パスクアーレ」「ランメルモールのルチア」などがある。

 彼の生家は、私が宿泊した宿のすぐ近くにあった。

 また、こんな群像彫刻も飾られていた。

 とにかく、外見とはまるで違う教会内部の豪華さに、まるで酔ったような気分で過ごした時間だった。


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ベルガモ② 内と外では大違い。黄金の輝きに包まれるマッジョーレ教会

2018-05-09 | イタリア・ベルガモ

 コッレオーニ礼拝堂に正面を占領されて、細々と入口が設けられた教会が、S・M・マッジョーレ教会。この教会ほどの規模なら必ずあるはずのファザードがなく、まるで通用口とでもいえそうな狭い入口から、中に入った。

 と、外見からでは全く想像できない豪華絢爛のロマネスク・バロック装飾が目に飛び込んできた。

 入る早々、黄金の輝きが前方に現れる。

 進むにつれて体全体が光に包まれてしまう感覚になる。

 前方上方にはキリストの十字架像があるのだが、その像も全体の光の一部と錯覚してしまう。

 真上にはゴージャスな装飾。

 キリスト像は、アップするとこんな具合だ。

 壮大な空間に圧倒されっぱなしになってしまった。


 天から光が降り注いでくる気分になってくる。

 よく見ると、緑や赤など様々な色彩が微妙に混じっているのがわかる。それがまた、複雑な光沢を作り出しているのだろう。

 壁面には聖母マリアの生涯を描いたタペストリーが取り囲む。その豪華さも並ではない。このキリスト磔刑のタペストリーはアントワープ製だとか。

 その上にはルカ・ジョルダーノ作の「海を渡るモーゼ」。

 柱の太さに合わせたタペストリーもあった。

 要所要所に聖書の物語などを描いた絵がちりばめられる。 これは最後の晩餐。

 こちらは生命の樹が描かれている。

 聖母被昇天もあった。

 まさに、堂内のどこを見てもそのきらびやかさに頭がくらくらしてしまうほどの豪華さだ。

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ベルガモ 2017年に世界遺産に登録された街。宿選択の失敗も、ベッキオ広場に癒される

2018-05-06 | イタリア・ベルガモ

 イタリア半島再上陸後、今日の目的地はベルガモ。

 まずはジェノヴァ駅のバルでカプチーノを一杯、電車に乗ってミラノへ。そこから乗り換えてベルガモに着いたのが午後2時前だった。

 人口約12万人のこの街は、駅前に広がるのが新しい都市計画によって形成された新市街バッサ(低い街)、丘の上にあるのが旧市街のアルタ(高い街)と2つに分かれている。おもな見どころはアルタにあるため、宿はアルタに決めた。

 鉄道駅舎を背に進むとバスセンターがあり、そこで切符を買ってアルタ行きのバスに乗った。ただ、アルタ行きのバス停はセンター前ではなく、西寄りのマクドナルド前にあった。

 途中、フニコラーレ(ケーブルカー)を利用するルートもあるが、アルタ行きバスはアルタの一番奥まで行くので、そのままバスで向かった。

 というのは、高低差の大きいベルガモの街なら、極力見晴らしの良い宿にしたいと調べた末、最も高台付近のB&Bを予約していたからだ。これが、正解半分、失敗半分だったということが、着いてみて明らかになった。


 というのは、宿は確かに見晴らしの良い場所にあったのだが、そこに到着するまでの道が、河原の石を敷いたようなでこぼこ道で、スーツケースが今にも壊れそうにガタガタ音をたてた。

 宿そのものも途中から客用に改造したものらしく、入口が道路に面しておらず、建物横のがけのような急傾斜の坂を下った途中に、急造の階段入口をつけた、デンジャラスな構造。

 さすがにその急傾斜部分は、オーナーに手伝ってもらって二人掛かりでようやく荷物を室内に運び入れるという、冷や汗ものの体験をした。

 さて、アルタの街歩きは、中心部のベッキオ広場から始まった。

 広場の中央にはコンタリーニの噴水。18世紀のヴェネツィア共和国の元首コンタリーニが寄贈したものだ。ライオンがにらみを利かし、人像が口から水を吐いている。

 この像は後から見ると、長い髪をしていて女性のようだ。

 ベルガモは1425年から1797年まで約370年間ヴェネツィアの支配下にあった。その間外敵からの防衛を目的に古代ローマの城壁に加えてさらに強固な要塞を4キロにわたって築き、現在の姿を形成した。

 今も残る城門の上部にはヴェネツィアのシンボルである獅子の紋章が刻まれており、そうしたヴェネツィア時代からの軍事防御設備群が、他の地域と共に2017年、世界遺産に登録されたばかりだ。

 噴水の背後にある建物がラジョーネ宮。3つのアーチ型通路があり、正面バルコニーの上にもライオン像レリーフが残されている。

 広場両側にはカフェやレストランが入っている。

 中でも向かって左側の「cafe del tasso」は1476年から営業しているという、イタリアでも最古のカフェとして有名だ。

 アーチの通路を通り抜けるとドゥオモ広場。といってもドゥオモは左横にひっそりとしている。

 正面にはコッレオーニ礼拝堂が「主役」の役割を果たしているような構成だ。

 この礼拝堂は、名前の通りヴェネツィアの傭兵隊長を務め、ベルガモの領主だったバルトロメオ・コッレオーニの墓として1472~76年にかけて造られた。
 ヴェネツィアに行ったことのある人なら、サンジョヴァンニ・エ・パウロ教会の脇に建つ大きな騎馬像を見たことがあるかもしれない。ヴェロッキオ作の傑作だが、あの馬上の主がコッレオーニだ。

 墓といっても本人が生きているうちに、自らが命じて建設させたもの。美しく豪華な建築だが、実は隣に既にあったマッジョーレ教会の聖具室を取り壊して造られたという、かなり強引なやり方が伝えられている。

 設計者は、当時の最高の建築家ジョヴァンニ・アメーディオ。

 白、赤、黒の多色大理石を菱形に組み合わせ、バラ窓やアーチを伴った北方ルネッサンス建築の傑作と言われている。

 内部には黄金の騎馬像があり、その下のキリストの生涯を描いた浮彫のある棺の中にコッレオーニが眠っている。

 また、入口左側には娘メディアの墓碑があった。

 扉付近には聖書の物語を描いたレリーフが添えられていた。これはアダムとイヴの創造。

 二人が禁断の実に手を出してしまう。

 そして、楽園追放。

 とにかく、その建設に関する経緯は別にして、様々な意匠を凝らした貴重な建物であることは確かだ。

コメント (2)
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