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新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

南仏・コートダジュールへ⑩ モナコ下 モンテカルロ地区でカジノ周辺のクリスマスデコレーション見学

2021-12-21 | 南仏・コートダジュール

 旧市街から、カジノのあるモンテカルロ地区に移動した。「カジノ・ド・モンテカルロ」は派手派手しい装飾に包まれたビルだ。中にあるオペラ座はパリのオペラ座を手掛けたシャルル・ガルニエの設計だという。

 このカジノは1865年に開業して大当たり。ヨーロッパでも最も有名なカジノの1つになっている。

 手持ちの資金もなく、ジーンズ姿では近付くのも恐れ多いくらいの場所なので、玄関前や周辺をちょろちょろと見て回っただけだが、早くも高級車で乗り付けるタキシードの男性の姿も見かけた。

 玄関には派手な装飾がたっぷりとデコレーションされていた。

 隣にはオテル・ド・パリなどの五つ星ホテルが並んでいる。

 広場にもクリスマスムードを盛り上げる演出があちこちに。

 巨大な銀の玉がハート型にしつらえられて客の来訪を待っている。

 街の通りにもいろいろな飾り物が並んでいた。

 ここはツーリストオフィス。こちらもキラキラ状態だった。

 雨が激しくなってきた。ぼちぼちニースに帰ることにしよう。

 

 

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南仏・コートダジュールへ⑨ モナコ中 グレースケリー大公妃は今、結婚式を挙げた大聖堂で永遠の眠りについていた

2021-12-18 | 南仏・コートダジュール

 海抜60mのモナコ旧市街の高台に上った。ここからはモナコ港の全景が一望だ。

 まず目指すのは大公宮殿。1215年にジェノヴァが築いた要塞跡に建てられたルネサンス様式のすっきりした建物だ。

 ここは、あのハリウッド女優グレースケリーが大公妃となって移住し、約40年間住んでいた館でもある。

 街歩きを始めてすぐに気が付いた。あちこちにグレースの写真がパネルになって掲示されている。

 若かりし頃のレーニエ大公との2ショット。

 こちらは彼女が末娘のステファニー王女と一緒に散歩している風景が収められた写真だ。まさに写真と同じ通りに掲示されていた。

 モナコ大聖堂も大公宮殿と同じモナコ・ヴィル地区にあった。ローマヴィザンチン様式の華やかなファザードが美しい。

 正面入口前でも写真パネルを見つけた。1956年4月19日に行われた結婚式の模様だ。全ヨーロッパに生中継されたほどの大イベントだった。華やかな結婚式の写真は、大聖堂を埋め尽くす大観衆に祝福される幸せそうな2人の姿が映されている。

 レーニエ3世とはカンヌの映画祭で知り合った。グレースはハリウッドのトップ女優という看板をすべて打ち捨ててモナコの妃となり、結婚後は1度も映画に出演することはなかった。

 結婚式から26年後の53歳時、自動車事故で不慮の死を遂げたグレースは、ここ大聖堂で葬儀が行われ、この場所で永遠の眠りについている。

 墓碑には本名の 「gratia patricia」と記されている。絶えることのない花がそこに添えられていた。

 司教座や祭壇にはカッラ-ラ(イタリア)産の白大理石が使われている。

 主祭壇の上方には大きな祭壇画が黄金に輝く。

 清らかな聖母像もあった。

大聖堂を振り返りながら、次へと移動した。

 

 

 

 

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南仏・コートダジュールへ⑧ モナコ上 市内を散歩。坂上から旧市街を望み、F1のコースを歩き、クリスマス市をひやかす

2021-12-14 | 南仏・コートダジュール

 マントンでだいぶ予定をオーバーしてしまった。次の目的地モナコへ急ごう。

モナコは面積2平方キロ。バチカン市国に次いで世界で2番目に小さい独立国だ。日本で例えると皇居の2倍程度だという。

フランスがモナコの独立を認めたのは1489年。19世紀以降観光産業に力を入れ、カジノやオペラハウス、カーレースなどの振興策を打ち出す一方、税制の優遇策で人を呼び込んだ。今では世界有数の観光地として定着している。

 マントン(フランス)から別の国へ向かうわけだが、全く心配はない。1ユーロのバスに乗って10数分揺られるだけ。朝にマントンに来た時も、ニース(フランス)-モナコ(公国)-マントン(フランス)と、2つの国の出入りをノーチェック、30分程度でしてしまっていた。

 モナコの「カジノ停留所」で降りて市内散策を開始した。まずは全体を見渡せる場所を探そう。だらだら坂をひたすら上る。ほどよい場所で振り向くと、多くのヨットを係留するモナコ港を見下ろすことが出来た。

 途中この付近の道はある時期F1のレース会場になるのだという。

 丘越しに出島のような一角が見えた。あそこが旧市街モナコ・ヴィル地区。グレースケリーが大公妃として過ごした大公宮殿のある場所だ。

 一旦坂を下りてモナコ・ヴィル地区を目指す。途中ホテルやビルの建ち並ぶモンテカルロ地区の家並みが壮観だ。

 港まで降りた。ここではクリスマス市が開かれていた。食料品などの店がズラリ。

 そしてプレゼビオ。キリスト誕生を祝う飾り物だが、このマリア様は立派な衣装に包まれていた。

 対してこちらは聖書が伝える通り馬小屋風の場所で誕生を待っている。面白いのは12月24日と25日でプレゼビオの形が一変すること。以前ローマで教会を回った時、すべての教会のプレゼビオに25日朝、前日にはいなかったキリストの赤ちゃんがマリア様の前に登場していて、びっくりしたことがある。

 特設の観覧車も出来ていた。

 またまた坂道を上って旧市街へ。こちらからは対岸に展開するビル群が正面に広がる。さすが一流リゾート観光地の貫禄だ。

 

 

 

 

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南仏・コートダジュールへ⑦ マントンの旧市街でバロックの建築群を見て、旧市街の細い道路をぶらぶら。

2021-12-11 | 南仏・コートダジュール

 マントンの旧市街を歩いた。中心となるのは大聖堂。高い尖塔を持ち、堂々とした風格を漂わせている。

 幾つもの塔が競い合うように並ぶ。

 海側には斜面に平行に建つ住宅群。色彩も赤系統で統一されている。たまたま天気は曇りだったが、晴れていればもっと輝いてるのだろう。

 坂を下りて海岸側から見る街並み。大聖堂の塔が突き出ている。

 港のクルーザーと組み合わせれば、マントン独得の風景が一層際立つ。

 一般住宅だけのアップ。これも意匠を凝らしたジオラマのようで美しい。やはりお隣のイタリア建築群にも似たイメージだ。

 町の通りは所々にポルティコがあり、それもまたアクセントになっている。

 道幅は狭く、それが明暗をはっきりさせる理由だ。

 微妙なカーブもあって、独特な街並みを形成していてそれが魅力になっている。

 ここにもポルティコ。人たちの姿がシルエットになって面白い効果が演出されている。

さあ、次はバスを使ってモナコへ行こう!

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南仏・コートダジュール⑥ 高台の墓地からの光景は、国境の街マントンを実感させるものだった

2021-12-07 | 南仏・コートダジュール

 海岸通りから旧市街に上る道すがら、見つけたのがサンミッシェル教会。モナコ大公オノレ2世によって17世紀に建設されたもの。そういえば、この町は当時モナコ公国の支配下にあった場所だ。

 12月とあってここにはプレゼビオ(クリスマスの飾りつけ)が展示されていた。

 庭には教会の模型?もあった。

 旧市街に入ると、狭い道や階段などもあちこちに見かけられる。

 さらに丘を上って行くと、柵で仕切られた墓地に到着した。入り口が開いていたので中に入ると、地中海が一望の下に見渡せる展望所になっていた。

 左側の突き出した岬の向こうはもうイタリア。隣のイタリアの町まではたった1.5キロだという。島国で生まれた身には、陸続きの国境など考えたこともなかったが、こうして実際に海と陸を見ていると、地政学的な歴史の違いがズシリと心にぶつかってくるのを感じる。

 墓は、19世紀に避寒客としてこの地で過ごした名士たちのものが多く、様々なデザインの墓も見られた。

 この墓などはまさに彫刻作品だ。

 海岸には大規模なヨットハーバーもあり、保養地として機能しいている町であることが実感できる。

 町全体を見下ろせる場所も見つけた。

 先ほどの女性像が逆光となって輝いていたので、その光景を1枚。

さあ、もう少し足を延ばして旧市街の美しい建築群に向かおう。

 

 

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