ボローニャでは聖ペトロニオ聖堂が旧市街の中心に納まっているが、この街の大聖堂(司教座聖堂)は、実は別の教会だ。
旧市街から鉄道駅に向かう途中に、その大聖堂はある。
入ってみるとちょうど天井の窓から一筋の光が主祭壇に差し込んでいた。
主祭壇には、華やかに飾られた聖母の絵画があり、その像に向けて聖堂を埋めた多数の人々が祈りを捧げていた。
ちょうど5月は高台にあるサン・ルカ聖堂の至宝である「聖母のイコン」が、旧市街に運ばれる時期。もしや、と思っていたら、その像がどうもイコンらしい。
というのは、街の中心部に掲げられたサン・ルカ祭りの垂れ幕にある聖母像が、まさに主祭壇に祭られている姿そのもの。
年に1度の貴重な時に巡り合えたのでは、とラッキーな気持ちになった。
また、大聖堂内にはテラコッタの「ピエタ」群像もあった。キリストの死に直面して嘆き悲しむ聖母を始めとした7人の人びと。
右側から。
また左側から。悲しみを讃えた表情に見えるが、実はヴィータ教会であれほどの激しく、狂おしく、様々な変化に富んだ表情や姿を見た後だけに、やはり物足りなさを感じてしまった。
それでも一定のレベルは十分達しているのだろうことは間違いないだろう。
市庁舎近くにはネプチューンの広場がある。ここにあるのはジャンボローニャ作のネプチューンの噴水。16世紀の代表的な噴水だ。ただ、私が行った時には修復工事中で見ることは出来なかった。
それで、だいぶ前に行った時の写真を。海を支配するネプチューン、イルカに乗った幼児たち、4人のセイレーン(女性像)が配置された広場の象徴だ。
ジャンボローニャの作品はこの後訪れたフィレンツェでたっぷりと見ることが出来た。
また、今回は行けなかったが、世界初の人体解剖が行われたという解剖学教室が市中心部アルキジンナジオ宮に残されている。この宮は19世紀初頭まではボローニャ大学として使われていた場所。前回訪れた時にはちょうど学校の出張授業の最中だったのでびっくりした記憶がある。
最後に、散歩の途中で見かけた美しいアーチを描く街並みを。
旧市街から鉄道駅に向かう途中に、その大聖堂はある。
入ってみるとちょうど天井の窓から一筋の光が主祭壇に差し込んでいた。
主祭壇には、華やかに飾られた聖母の絵画があり、その像に向けて聖堂を埋めた多数の人々が祈りを捧げていた。
ちょうど5月は高台にあるサン・ルカ聖堂の至宝である「聖母のイコン」が、旧市街に運ばれる時期。もしや、と思っていたら、その像がどうもイコンらしい。
というのは、街の中心部に掲げられたサン・ルカ祭りの垂れ幕にある聖母像が、まさに主祭壇に祭られている姿そのもの。
年に1度の貴重な時に巡り合えたのでは、とラッキーな気持ちになった。
また、大聖堂内にはテラコッタの「ピエタ」群像もあった。キリストの死に直面して嘆き悲しむ聖母を始めとした7人の人びと。
右側から。
また左側から。悲しみを讃えた表情に見えるが、実はヴィータ教会であれほどの激しく、狂おしく、様々な変化に富んだ表情や姿を見た後だけに、やはり物足りなさを感じてしまった。
それでも一定のレベルは十分達しているのだろうことは間違いないだろう。
市庁舎近くにはネプチューンの広場がある。ここにあるのはジャンボローニャ作のネプチューンの噴水。16世紀の代表的な噴水だ。ただ、私が行った時には修復工事中で見ることは出来なかった。
それで、だいぶ前に行った時の写真を。海を支配するネプチューン、イルカに乗った幼児たち、4人のセイレーン(女性像)が配置された広場の象徴だ。
ジャンボローニャの作品はこの後訪れたフィレンツェでたっぷりと見ることが出来た。
また、今回は行けなかったが、世界初の人体解剖が行われたという解剖学教室が市中心部アルキジンナジオ宮に残されている。この宮は19世紀初頭まではボローニャ大学として使われていた場所。前回訪れた時にはちょうど学校の出張授業の最中だったのでびっくりした記憶がある。
最後に、散歩の途中で見かけた美しいアーチを描く街並みを。
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