地名ちょこっと紹介。
【鷹尾山城跡】兵庫県三木市
たかおやまじょうあと。
三木市役所の西側の丘陵上にある。
北側が三木城の本丸なので、南を護る支城の1つである。
戦国時代の有名な三木合戦では、本丸が別所長治、
鷹尾山城には長治の弟が護った。
しかし、織田軍に攻められて落城。
秀吉自身がこの鷹野山城に直接入って別所長治との降伏交渉をおこなった。
我が輩、2年前だったかな?
三木城の付城群を探索した。
三木城から南下したが、山の起伏のために迷ってしまい、犬の散歩をしてた女性に場所を尋ねた。
しかし、知らないと言う。
地元なのに知らないなんて…
結局のところそのまま坂を登ると市役所があり、その向かい側の体育センターの裏に城跡遺構がありました。
体育センターの前には城跡の解説板があり、犬の散歩をすれば気づくはずなんですがね。
ま、歴史に興味がないと気にしないか…
鷹尾山の地名由来はよくわからない。
鷹の尾のような形の山だからかな?
地形図を見ると確かに尾根が長く伸びてる形だが。
住所としては三木城本丸や三木市役所が、上の丸町。
鷹尾山城は、福井町になってる。
福井という地名は三木市となった時に新しく付けられた大字のようです。
三木市となる前は美嚢郡でした。
難しい漢字ですが、読みは「みのう」です。
由来は、
ネット検索すると
「神功皇后が、朝鮮出兵の途中、三木の君が峰で休座されたとき、土地の人がつぼに入れた酒を献じたことから御酒、美壷と呼ばれたのが始まりで、御酒が三木、美壷が美嚢(みのう)に転じた」
という説明があった。
君が峰、現在の住所は市役所の東側の地域の地名として残ってる。
御酒を「みき」と読むのはわかるが、
美壺を「みのう」とは読まない。
みつぼ、あるいはみこと読むはず。
嚢は「のう、どう、ふくろ」
どうして壺から嚢に変化したのか?
不思議ですね。
共通点はどちらも入れ物だということ。
それしかわからない。
鷹尾山の鷹は
言われを隠すよ、のう…
明後日に続く
Φ(*^ひ^*)Φ
NHK大河ドラマで井伊直政が登場してました。
徳川四天王の1人、後の佐和山城主です。
現在佐和山の麓の清凉寺(龍潭寺の隣)にお墓があります。
井伊家の菩提寺で歴代藩主の墓があります。
江戸時代の井伊家の文書を読むと
歴代藩主は毎月必ず清凉寺に参拝してます。行けない時は家臣が代拝してますが。
寺は石田三成の重臣島左近の屋敷があった場所に建てられました。
ところで、「清凉寺(せいりょうじ)」
つい最近まで我が輩は「清涼寺」と思っていて、原稿用紙に書き下してました。
「涼」も「凉」も同じ意味の漢字で、「にすい」か「さんずい」かの違いというものの寺名となると間違えてはいけません。
先輩に間違いを指摘されて愕然!
目からウロコ
いや、
我が輩は研究者失格
いや研究者じゃないっつうの。
とはいえ、情けないわ…
Φ(*^ひ^*)Φ
昨日大津市の膳所へ行った。
山への道の途中で名神高速道路の高架橋を渡る。
下の道路を眺めると
意外にも車はスムーズに流れていて大渋滞は無し。
拍子抜けでした。
ただし、夜はかなり混んでたそうですが…
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
夜、寝る前に必ず親の紙パンツを交換する。
母が「おや、今日は珍しく手が温かいな」と言った。
普段、我が輩の手は冷たいといつも愚痴を言われてる。
だから、驚いたのだ。
実は浴室で毛布を手洗いしたから温かったのです。
それに部屋の気温も23度になってる。
今夜は夏の夜、
暑いぞ!
熱中症に注意だき。
馬《●▲●》助ヒヒーン♪