馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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近江、東野山城(砦)跡

2019-02-17 22:34:00 | 城跡
昨日の疲れも何のその、本日も山登りに出かけました。
降りた駅は、余呉駅。

JRハイキングに参加の人がたくさんいました。
ジビエの猪や鹿肉を食べて余呉湖のワカサギ釣りを見学するそうです。
体力つけるために、こちらに参加すべきだったかな?
来年は参加してみようかな…

余呉駅から歩いて北上、
約40分で余呉小中学校に到着。

この裏山に東野山城跡がある。

普通の人は学校の南から林道を歩いて登ります。
変り者の我が輩は、北国街道をさらに北上、賤ヶ岳合戦で秀吉軍が築いた防衛線の土塁跡を探索。
そして、少し進んで民家の横の道を山へ向かった。
北陸自動車道のガードをくぐると山の麓。
辺りを見回すと、南のほうに登山口っぽい場所を発見!
ここから登ることにした。

谷あいの畑道を進み、途中から尾根に直登りした。
最近、直登りが多い。
登山家じゃないのですが…

尾根に出ると、「東野山城跡へ」の看板見つけた!

やりましたよ。
登山道、間違ってなかったのだ。

大きな堀底道があり、ひたすら登った。
何度か曲がりくねる道なので、自然の道なのかも?
30分ほど登ると、舗装された林道が!
さらに少し進むと本丸跡に到着。
余呉駅から約90分かかった。

これなら、普通に林道を登ったほうが良かったかも。
後悔先に立たず、ですわ。

本丸付近は、雪が少し残ってる。
城跡探索には問題ない。

眼下に余呉湖が見える。

秀吉軍は、この東野山砦と向かいにある堂木山砦に陣を敷き、さらに両方の砦を結ぶ土塁を築いた。
ここが秀吉軍の防衛上の最前線となった。
柴田勝家は、南下し東野山砦まで迫ったが、砦を守備してた堀秀政は、なんとか防いだ。
これにより、勝家は退去するはめになった、という。

そんな重要な城跡だけに、規模は小さいけど土塁や堀など城の構成がうまく配置されてます。

一時間ほど探索し、下山。
帰りは素直に林道を歩きました。

林道は車が通れるが、進入禁止になってます。
それでも一台の軽トラが走ってたが…


再び余呉駅。
来る時に出逢ったJRハイキングの連中と再び再会。
美味しいものを食べて精を付けたのだろうな。
こっちはパン一個だけで体力すり減らしまくり。
えらい違いや😣

普通の人はこのまま帰宅するのだが、変人の我が輩はまだ帰らない。

余呉駅から高月駅へ移動。

15時30分、
北国脇往還歩き開始。

時間が時間なので、速歩で進む。

17時過ぎ、木之本宿到着。

ゴールインです。
ついに関ヶ原から木之本までの北国脇往還制覇しました。

ようやくですわ。

今日は、体力かなりすり減らしたが、
ともかく満足満足なり。

ちなみに、本日は3万歩超えた。

山登りをしての20キロ歩きは値打ちありますわ。

明日から1週間静養します。

というか、本日も山のなかでボールペンを無くした。
これで何本目か、数えきれない

また百均でたくさん買わねば…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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